ヘルマン・ヘッセ「少年時代から」


 親・家族、暮らしの環境、そして友、この三つは、子どもに深く影響を与える。
 ヘッセにはまた「少年時代から」という作品がある。少年時代の記憶の細い糸をたぐりよせた作品である。記憶をひもとくと、まず断片的な記憶から始まる。それが集まって、記憶の元の、昔の世界が姿を現す。その記憶の世界は、驚くべきものであった。

 少年時代、隣家にブロージーという仲良しがいた。ブロージーは、母の編んでくれた青い帽子をかぶっていた。いつもポケットにリンゴやパンの一片を入れていた彼は、いろんな遊びを思いつき、それを提案した。
 あるとき、鍛冶屋のバルツレがその帽子をあざけったために、ブロージーはバルツレをたたきのめした。それからしばらく、わたしはブロージーを恐れた。
 彼は一羽のカラスを飼っていた。秋に若いジャガイモをたくさん餌にあてがわれたカラスは死んでしまう。わたしたちはカラスを埋葬し、わたしは牧師のように説教をした。ブロージーは泣いた。それを見て弟が笑った。ブロージーは怒って弟をぶった。弟はおいおい泣き、わたしはぶちかえして、けんかになった。ブロージーのお母さんがやってきて、ブロージーの家でお菓子を食べながら二人は仲直りをした。
 屋根屋の飼っていたタカが鎖を切って逃げた。タカはリンゴの木に止まって、下にいる人間たちを見下ろしていた。わたしたちは、おそろしく興奮した。つかまったほうがうれしいか、逃げたほうがうれしいか、わたしには分からなかった。屋根屋が木に登ってつかまえようとすると、タカは強くはばたき、ゆっくり誇らしげに大きく輪を描いて空に上って見えなくなった。わたしたちは立ち尽くし、空じゅうを探したが姿は見えなかった。ブロージーが叫んだ。「飛べ、飛べ、さあ、おまえはまた自由になれたんだぞ」。
 ひどく雨が降ると、わたしたちは手押し車小屋にうずくまって、雨の音に耳を傾け、庭に川や湖ができるのを眺めたものだった。ブロージーがこんなことを言った。「君、いよいよノアの大水だよ。どうしよう、村の人もみんなおぼれてしまって、水は森まで来ているんだ」。わたしは、それじゃ、いかだをつくらなきゃ、二人して乗っていけるだろう、と言うと、ブロージーは言った。「お父さんとお母さんはどうするんだい、君の弟、ネコはどうするんだい、いっしょに連れて行かないのかい」。彼は悲しそうに考えこんでしまい、その遊びは中止になった。
 わたしたちは、午後いっぱい草地をはねまわり、森の中に入った。コケが生えていた。ハエがキノコの上でぶんぶんうなり、キツツキが木をたたいていた。二人は快い気分になって、ほとんど何も話さなかった。森の奥はとび色の薄暗がりの中に溶け込んでいて、葉のざわめきも、鳥のさえずりも魔法のおとぎ話の秘境からやってきた。
 あるとき、わたしたちは小鹿が見たかったので、モミ林に入った。小鹿は見当たらなかったけれど、コケがふさふさと生えているところがあった。わたしはコケをはぎとろうとした。すると、ブロージーは言った。「やめたまえ、それは天使が森の中を通った足跡なんだよ」。二人はそこで、天使を待った。
 こうして記憶の断片は次々と現れ、残らずよみがえった。
 それからブロージーは病気になった。わたしは一度か二度、見舞いに行ったが、それっきりになった。そして長い時が過ぎた。雪が降ってまた融け、もう一度降った。小川は凍りつき、また融け、とび色になり、白くなった。水があふれて、上の谷からおぼれた豚や材木を押し流してきた。ニワトリのヒナが生まれ、三羽が死んだ。弟が病気になり、また丈夫になった。納屋で穀物がたたかれ、部屋で糸がつむがれた。すべてブロージーのいないうちのことであった。
 ある夜、わたしは、寝床に入って眠れなかった。親の寝室から父母の話し声が聞こえてきた。母が父に言っている。
 「ブロージーのことをお聞きになりましたか」
 父が答える。
 「夕方、行ってみたよ。かわいそうだね」
 ブロージーの容態が芳しくなく、春まで命が持つか分からないということだった。
「うちの子を見舞いにやっては?」
と母が父に言う。
 そうして、わたしは久しぶりにブロージーを見舞う。
 わたしの記憶は、ブロージーの寝室での話に移っていく。それもまた詳細な記憶だった。
 ある日、おかあさんが、芽を出したばかりのヒヤシンスの鉢植えをわたしにくれた。それを育てて、花が咲いたらブロージーのところにもっていって、喜ばせてやりなさいと。わたしは、ヒヤシンスを育てた。ときどき水やりを忘れることがあった。するとお母さんは言った。
 「花は今、病気の重いブロージーと同じなんだよ。こういうときはいつもの倍かわいがって面倒みてやらなくてはいけません」
 わたしは花が咲けばブロージーが元気になる、花が咲かなければブロージーは死ぬだろうと思う。それから何回か見舞いに行った。ヒヤシンスの鉢を渡したときの日のことはすっかり忘れてしまったが、ブロージーの病室の窓辺でヒヤシンスが咲いていた。
 最後の見舞いのとき、ブロージーは遠いかなたを見ているような、よそよそしい妙なまなざしだった。その日の午後、彼はお母さんにせがんで話をしてもらっているうちにまどろみ、やがて鼓動は徐々に夢うつつになり、ついに消えてしまった。