唐突に浮かんでくる記憶



今朝は霜が凛凛と、クヌギの林を過ぎてふっと頭に浮かんだ記憶があった。
誰の小説だったか、記憶の引き出しがきしんで名前が出てこないが、そのシーンだけは頭に浮かんだ。
教師は朝礼台の上で子どもたちに別れの挨拶をした。
「帽子片手にみなさん、さらば、長のお世話になりました。わたしゃ、これからキタギへ行くが、受けたご恩は忘りゃせぬ。」
記憶の大半は忘却していて、そのおもしろい言葉だけが残っていた。
つづいて出てきた記憶は、自分の中学校1年のときだった。
担任は、新任の若い女の先生と定年間近の男の先生だった。
女の先生は清水先生、男の先生は真野森太郎先生、清水先生は大阪市内から河内まで通ってきていて、横に神社の林がある教室は自然がたくさんあっていいなと言っていたが、河内の腕白どもの私語には困り果て、授業中いつも、「静粛にしなさい」と叫んでいた。
冬休みになり年賀状を出したら、石川啄木の歌を書いた返事が来た。
「何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。」
そこでこの歌を覚えた。
清水先生の記憶はもう一つ、学級活動でぼくともう一人の生徒二人が放課後残っていた。
職員室だった。
先生はきつねうどんの出前をとってくれた。
「どうぞ、食べなさい。」
へえー、ぼくは驚いた。
おそるおそる食べたそのきつねうどん、甘く煮しめたきつねに汁の甘さ、
こんなうまいものがあったのか、食べながら思った。
「静粛にしなさい」と金切り声を発していた先生の優しさと余裕の一面を見て、見方が変わった。
だが先生は、1年きりで学校を辞めていった。
もう一人の森太郎先生も1年の終わりに去っていった。
クラスで最後に残していった言葉は、
「森本君はえらい。」
そこだけ覚えている。
なぜそう言ったか。森本は両親がいなかった。祖父母に育てられ、家の農業を手伝っていた。まじめな彼は勉強もよくやった。
それを去りゆく先生は言い残したのだろう。
森太郎先生は離任の朝の集会で、全校生徒に突如こんな挨拶をした。
「嫌気がさしたんだ。もうこの学校に嫌気がさしたんだ。」
生徒たちは何がなんだかさっぱり分からなかった。
何に嫌気がさしたのか。何かいきさつがあるらしいとは感じたが、よく分からない。言葉の調子にもとげがあった。
そうして森太郎先生は去っていった。
生徒たちと一緒に活動することもなかった。
ただ授業だけに来て、数学を教えるだけであった。
二人の先生とはそれきりだった。
後に、いろいろ感じるものがあった。
森太郎先生と学校との関係、何かある。
森太郎先生がほめた森本は、定時制高校の4年生のとき、農薬を飲んで自死した。
人生の中を通りすぎていった人たち。
残る記憶、消えていった記憶。
突然浮かんでくる記憶。
頭に残る記憶には感情がともなっている。
記憶は浮き沈みする。