暮らしをつくる子どもたちの力


 カナダの先住民の村。若いフレッドには、10歳から15歳になる弟たちがいた。弟たちは元気だった。
 「彼らは私を外に引っ張り出すと、自分たちが薪をじょうずに割れることを見せてくれた。実際、それは驚嘆に値するものだった。少年は左手で数メートルの長さのある枯れ木を地面に斜めにささえ、右手で斧の柄のいちばん端を握り、それを前から後ろに振りまわし、そのまま枯れ木に向かって振り下ろすのである。枯れ木は適当な長さに順次地面に近いほうから叩き切られていった。さらに、短くなった薪の一つを取り、片手で今度は斧の頭の部分を握ると、木の表面をはがしていくように削りくずを作った。そして、火をおこすときには紙を使わず、この薄い木の削りくずに火をつけて、大きくすることができるのだと胸を張ってみせた。
 次の日、わたしはこの少年たちがもっとあざやかに斧を使うのを見た。それは、フレッドといっしょに雪の森の中へ枯れ木を取りに行ったときのことであった。弟たちもわたしたちといっしょに出かけたのだが、彼らは腰まである雪の中を泳ぐようにして森の奥深くわけいり、雪をかぶった木のうちどれが立ち枯れになっている木か見当をつけ、そのことを斧で木の幹をちょっと削って確認し、それから斧を振るい始めた。静かな森のなかでの澄んだ斧の音はわたしの頭に刻みついた。正確に振り下ろされる斧は、確実に木の一片をはぎとっていき、両側からしだいにせばまる切り口は、最後に手でひょいと押すと二つに離れる。木は他の木々とぶつかりあい、雪を空中に舞わせながら倒れる。少年は片手で斧を持ったまま、得意そうにほほえむ。」
 この一文は、ネイティブ・カナディアンの村で民俗調査をした煎本孝の記録の中にある。アラスカからカナダに広がるタイガ(針葉樹林帯)に住み、川・湖での漁やトナカイ猟で暮らしていた北方民族の村でのことである。(「カナダ・インディアンの世界から」福音館書店

 暖を取る薪なくして冬は越せない。大人とともに子どもも、家族の暮らしを支えるために働き、暮らしの技を身につけていた。

 南米アンデスの、インディオの小さな村でのことである。村は冬を迎えた。だんらんの火を養う薪は充分足りていた。秋のうちに、男の子も女の子も、薪作りにアリのように働いたからだ。家族は炉の火を囲む。
 「ゆらめく炉の炎のままに、思い出にふけったり、幻想をかきたてたり、人々の気分が昔語りにふさわしい空気に染まっていくのは、古いならわしだ。その場の一人ひとりが、心の奥と、はるかな方とをみつめている。薪は燃えながら、白い炎とねずみ色の灰のあいまに、幻の城を、巨大な船を、人の思いを、そのなかにまよわせる魔法の森を、描き出す。」
 外では風があるじだ。風がしずまると、雪降る音が聞こえる。柵の中では、羊たちがかたまりあって暖をとっている。犬たちは、火の周りに好き好きの場所を占める。男たちは話しながらコカをかむ。女たちはコーヒーをこしらえる。しばしば熱いぶどう酒も出る。ラモン老人が昔語りを始めた。
 「むかし、ちょうどこんな冬のことだった。あんたたちが小僧っ子のころじゃった。ヤギ小屋がなんだかざわざわしたんじゃ。」
鞭をもって外へ出てみると、月は昼間のように明るく輝いていた。羊のいるところへ行ってみると小ヤギが一頭何ものかに首をかまれていた。地鳴りのようなうなり声が聞こえた。ピューマだった。ピューマは跳びかかってきた。ところが1メートル半かそこらのところで、地面をひっかいたり、うなったりしていたが、大跳びにはねて消えていった。
 聞いている家族は息を呑んで、何が起こったのかと訊く。老人は答えた。
 「その晩はたいへんな月夜だった。わしの影が大きかったのさ。ピューマは、わしの影をやっつけようとしたんじゃ」
 みんながどっと笑う。吹雪の夜の、家族をつなぐ、だんらんだった。(「インディオの道」(アタウアルパ・ユパンキ 浜田滋郎訳 晶文社
 文明が進み、経済が発展して、逆に大切なものを失った。火を囲む家族の大きなだんらんは消え、暮らしをつくる力と技を、子どもたちは身につけることがなくなってしまった。