今日は水路の掃除、小柿を食べた

 朝8時から居住地区の共同作業だった。農業用水路の掃除と水路際の草取りが作業内容になる。この地区の住民はそれぞれ分担区域の水路に分かれて作業する。朝から雨になった。カッパを着て鍬を持ち出かけようとしたら、隣の0夫妻が車でやってきた。
「私は作業にいけないのでよろしく。今から福島の被災地に行きますので」
「それはそれは、ご苦労様です。気をつけて」
 Oさんは首にタオルを巻いていた。Oさんの出身地は福島だ。親族の人たちの中には震災の被害に会われた方もおられる。
 掃除の分担水路に行くと、5人ほどが雨具を着て集まっていた。長い柄の鎌を持った人、短い鎌を持った人、ジョレン、スコップ、鍬、いろいろな道具を持ってきている。雨は小降りだったから作業には支障が無い。水路にかかるように茂っている草を刈り、水路のなかのゴミを取る。
 水路際に一本の小柿(こがき)の木がある。樹は成木で4メートルほどの高さになっており、枝を横に張っている。その枝に、びっしりと小柿が熟れている。直径2センチほどの、ドングリぐらいの小さな柿で、青いときは渋柿だが、今は熟れて黒っぽい焦げ茶色になっている。つまんで口に入れてみた。柔らかく熟した実は甘く、熟柿そのものだ。皮ごと食べられる。子どものころは、この柿をよく食べたと、Kさんが言う。Kさんはこの地に生まれ育ち、学校を出てから名古屋に就職して、定年後Uターンしてふるさとに帰ってきた。
「Kさん、この柿食べまっしょ。なつかしい味ですよ。」
 笑いながらぼくは勧めるがKさんも笑いながら、そんなの食べない食べないと手を振る。この小柿には種が無かった。種無しの小柿だ。ぼくの隣家の庭にも小柿が自然に生えてきて大きくなっている。今年はたくさん実をつけた。それには種があったが、こんな種無し小柿もあるのだ。こちらに引越しをしてきてまだ数ヶ月の、小学生のお子さんをもつお母さんが一人来ておられた。
「この柿知ってますか。」
「これ、柿ですか。ブルーベリーの仲間かと思いました。」
一粒食べたお母さん、
「ほんと、柿ですね。甘い。」
 水路をずんずん作業しながら上がっていった。水路の際も、田のあぜもきれいに草の刈られたところがあった。
「ここはきれいに刈ってありますねえ。」
と巌さんに言うと、にやにや笑う。
「ははあん、ここは巌さんの田んぼだ。」
「そうそう、ここ3枚ね。」
「やっぱり巌さんは精農だねえ。」
「昔から5回草を刈るんですよ。」
 機械が発達した今、草刈りを怠る人が多い。昔の農民は、手鎌一本であぜの草をきれいにきれいに刈っていた。この巌さんの田んぼに冬場はナズナがたくさん生える。
 掃除の分担区域の端まで来ると、上の水路部分を担当している組の人たちがいた。Aさんの顔も見えたから、
「画伯の絵を見に来ましたよ、ハッハッハ。」
と声をかけた。Aさんが若いころから絵を描いているということを知ったのは今年であった。この秋、地域の文化祭に出展された絵はなかなかのものだ。Aさんは民生委員や地区の自治会の役もやっている。
「ブログ見ましたよ。樹木葬のところを読みましたよ。長い文章なんで、ほかはまだ読んでいませんが。」
「いや、これはこれは、読んでくださってありがとうございます。」
 それからちょっと樹木葬の話になった。
「Aさんの家は昔からのこの地の旧家で、先祖代々の墓はあるでしょうから、この計画に関心はないでしょうけれど。」
「私の家は墓がありますが、安曇野に移住してきた人たちには、墓がありませんからねえ。」
「ぼくの構想は、そこに子どもの森をドッキングしてと、考えているんです。画期的だと言ってくれる人もいます。」
「いや、画期的ですよ。」
 Aさんは目をくりくりさせた。Aさんは巧まざるひょうきんさを感じさせる人で、ぼくはすぐに冗談を言いたくなる。
雨は上がってきた。ひょいと見ると、すぐ近くにも数本の柿の木が見え、実がたわわに成っている。そのなかに小柿の樹が一本見えた。
「あれ、あそこにも小柿がありますね。」
 今ではだれも食べない小柿、梢には実が塊のように付いている。
「あの実をジャムにするといいですねえ。」
 ぼくがそう言うと、Aさんは、
「そんなこと誰も考えないですねえ。発想がユニークですねえ。でも、あれ、種がありますよ。」
「いや、さっき向こうにあったのは種無しだったですよ。」
「そうですか、種無しがあるんですねえ。ジャムにできたら、どこにもないジャムですよ。」
「そう、珍しい小柿ジャムです。」
 そんなことを話していたら、作業は終了した。