PTSD(心的外傷後ストレス障害)

 沖縄の高齢者の中で、67年前の戦時に心と体に受けた傷の、今になってうずきだし苦しむ人が増えているという。沖縄戦の生き残りの島民たちである。沖縄戦は、日本軍11万人とアメリカ軍54万8千人が激戦を繰り広げ、その間に挟まれて殺されていった住民の犠牲者は10余万人であった。先日NHKが、かろうじて生き延びた人たちの今を生々しく伝えていた。高齢者の、老いてなお苦しまねばならない悲惨である。
 アメリカ軍の砲撃の中、ある女性は、9歳の身に4歳の妹を背負って逃げたが、銃弾は背中の妹を貫通し、さらに自分の胸を貫いた。妹は即死、自分は妹を置いて逃げて命だけは助かった。妹を置き去りにして逃げた、この想いは終生彼女をとらえて離さなかった。妹を捨てたという自責の念は、心の中にうごめく。だが、家族を持ち、子どもを育て、生きていくためにはその気持ちを押さえ込まなければならなかった。子どもも独立し、伴侶も逝き、孤独な晩年になってから、心の傷が噴き出す。封が切られたかのように、妹を捨てたという自責の念が心身をさいなみはじめた。雷がなると恐怖が襲った。眠れなくなり、うつになり、歩けなくなった。
 またある婦人は、アメリカ軍の追撃を受け、ガマから飛び出し、死体を踏み越えて逃げた。そのときに裸足で死体を踏んだ。踏んだときベタっとくっついた足裏の死体の感触、それを足は覚えていた。足を洗っても拭いても消えない感触、恐怖とうしろめたさ、それが今、足の痛みとなって現れ自分を苦しめる。
 このような不眠、うつ、体の痛みを覚える人たちの実態が明らかになってきたのは、沖縄看護大学の遠山教授を中心とする調査によってであった。この2年間で125人、70、80、90代の高齢者に、戦時の心の傷が現れている。
この症状はPTSDと呼ばれる、心的外傷後ストレス障害である。死ぬか重症を負うような危機的な体験の後に起こる症状で、心に加えられた衝撃的な傷が元となる。
 PTSDは、べトナム戦争から帰還した米軍兵士に多発し、注目を浴びた。
そして今日本で、沖縄戦を体験した高齢者の44パーセントに、なんらかの症状が現れている。今も残る米軍基地、米軍兵士による事件などが、さらに追い撃ちをかけている。
 PTSDの症状は、本人からの申告があって調査も進むが、調査なきところでは、その実態は分からない。日本軍兵士の生存者の場合、さらにベトナム戦争を体験したベトナムの民衆の場合、アフガニスタンイラク、さらにさらに、日中戦争の悲惨を体験した中国の民衆、それら人々のなかに多くのPTSDの患者が隠れていることだろう。従軍慰安婦の問題は、被害者の心身をいやすことなくして解決しない。政府間で決着しているというが、人間の尊厳を奪われ、屈辱の性奴隷にされたことによる心の傷が当事者の中でうずきつづけるのは、心ある謝罪といやしが未だ不十分だからではないか。
 琉球大学名誉教授だった仲宗根政善氏が、こう書いていた。
「世界の人々が、沖縄戦のこの惨状を見届けるまでは、木よ伸びるな、草よ茂るな、と私は叫んだ。死屍累々としているこの地が、ふたたび人間が住めるようになるとは思えなかった。‥‥国を守るとは、いったいどういうことなのか。戦争は、誰のために、何のためにやるのか。人はなぜ殺しあわねばならないのか。‥‥沖縄戦は、伝えようにも伝えようのない実態である。」(『これが沖縄戦だ』大田昌秀

 東北の大震災でも、親族を救えなかったと、自分を責めて責めて苦しんでいる人たちがいる。PTSDは、被災地でも現れていることだろう。