秋の幸の贈り物

ここ数日の寒気で、トマトも、シシトウも、ヤーコンも葉がしおれ、黒ずみ、見るも無残な姿になった。近くの三反歩ほどの畑いちめんに地ばいトマトが残っている。ジュースなどの加工用に栽培されるトマトで、秋の出荷が終わった後も実りつづけていて、それが放置されたまま片付けされていない。赤いのやら緑のやらトマトはまだたくさん成っている。最近霜にやられつつあるが、赤く色づいたものの中には、充分食べられそうなのがいくらでもある。その農家の手伝いをしている綾子さんから、「ほしければ勝手に取っていってくださいよ」、と声をかけてもらっていたが、我が家のトマトもまだ残っていたため、もらいにいくこともしなかった。
ゴミ出しの朝、綾子さんが当番で来ていた。ぼくの顔を見ると、
「柿をもらってきただで、取りに来ましょ」
去年もたくさん綾子さんの家の柿をいただいた。だから、今年もと少し期待していたぼくは、
「それは、うれしいです」
とニコニコ顔になった。去年は綾子さんの家の柿が豊作で、ぼくは木に登って200個ほどいただいた。皮をむいて干し柿にして、正月前ごろから毎日のように味わった。それは、汲めどもつきない美味を楽しむ幸せだった。一昨年は巌さんから「取りにおいで」と声をかけてもらって、はしごをかけて柿をもいだ。家内は木の下で柿を受け取る。その干し柿もまた豊潤な味わいを寿ぐ喜びの日々であった。ところが綾子さんの家でも巌さんの家でも、今年は柿の実りが少ない。綾子さんは今年は吉田さんにあげれないなと思っていたら、ちょうど他から柿をいただけることになった。そこでぼくの家の分も取ってくれたというわけだった。
田んぼの中を綾子さんの家までもらいにいき、お隣のOさんの分も車に積んで帰ってくると、例のトマト畑で、Oさんがトマトをもいでおられる。
「ピクルスにしようと思って、青いのをもらっているんです」
ということだ。なるほど、それはいい。ぼくは、おととい、公民館の日本語教室で教えている中国人の女の子が我が家に遊びに来て、トマトがほしい、ほしいと言って、我が家のトマトの残りを採っていったことを思い出した。
「まだ食べれそうなのがこんなにたくさんあるんだから、ここのをいただいて、持っていってあげよう」
そのことを話すと、Oさんはポケットからポリ袋を一枚出して、渡してくれた。Oさんの奥さんも、ボランティアで日本語教室に教えに来てくれることになっている。たくさん未収穫のトマトは霜のためにいたみかけていた。それでも30個ほど、赤くて、しっかりしたのを袋に入れた。家に帰って我が家の畑のシシトウをもいで、トマトとシシトウを自転車に積み、仕事中かもしれないから、袋にメモを入れた。
「近くの畑でいただいたものです。霜が降りて、少しいたんでいますが、料理に使うといいですよ。」
彼女たちの寮へ行く途中、桜並木の紅葉が美しかった。彼女たちの部屋のドアをノックしたが、返事がなく留守のようだったから、部屋の前に袋を置いて帰ることにした。寮から出て帰りかけると、後ろから高いトーンの女性の声が聞こえる。ぼくを呼んでいるらしい。振り向くと、赤いセーターを着た王さんが走ってくる。留守ではなかった。テレビを見ていたのだ。
「この前、卵を部屋の前に置いておいたのを受け取りましたか」
不審物だと思われて処分されるかもしれないと心配していたのだと言うと、彼女は大笑いして、
「そんなことないです。いただきましたよ」
とのことで、まずは安心した。
家内と二人で、綾子さんにもらった柿の皮むきをやった。100個以上はある。