無意識の世界からとどく声


蕭蕭(しょうしょう)と風吹き、夜半に目覚めた。雨打つ音も聞こえた。
野歩きに着ようと探していて見つからなかったウインドブレーカーの置き場所が突然頭に浮かんだ。本棚と本棚の間、見えないところにぶらさげた記憶だ。そうだ、あそこにあるはずだ。
このごろ時雨も降る。雪もちらつく。風も冷たくなった。あのウインドブレーカーが役に立つ。いったいどこに自分は置いたのか、いくら部屋を探しても、無かった。確かそれ用の袋ケースに入っていた。ザックのなかにしまいこんだかと、登山のザックを調べたけれども見つからない。またそのうちに出てくるだろうと、探すのをやめた。それから意識の世界ではそのことは頭に無かった。それなのに、脳のなかではひそかに探していたのだった。無意識の世界だ。そして夜中に、脳は自分の置いた場所を知らせた。
朝起きて、そこを見る。あった。本棚の側面の上に、物を吊るす金具を取り付けてある。そこにウインドブレーカーは黒い袋に入ったまま、吊るされていた。
ときどきこういう現象が起こる。工房を建てていたときも、解決できない問題に何度もぶちあたった。どうしたらいいのだろう。答えが見つからない。そのことはいったん棚上げして数日過ごす。そうしていたら、無意識の世界から、朝方の浅い眠りの中、答えが届くということが何度かあった。脳は夜も動いているのかと思う。
9月に、市議会がいくつかの会場で、市民と意見を交流する企画を立てた。ぼくもそれに参加した。一日目の意見交換会でぼくは、「あづみのひかりプロジェクト」が企画し、ぼくも一枚加わらせてもらった、「福島の親子保養ステイプロジェクト」のキャンプの様子を報告し、議員はもっと市民の中に入ってくるべきだと意見を述べた。市民の意見を出せる時間は全部で実質30分ほどで、20分ほどは議会側が応える、だから、一人の時間は少ししかない。ぼくは伝えたいことの半分も言えなかった。日を変えて、次の会場で開かれた意見交換会にも参加した。このときは時間がなくても言いたいことを伝えられるように、意見を印刷して持っていった。その印刷物を、議員と市民に配布できるように、議会側の委員長に許可を得に行くと、「会場の外で配ってください」と言う。そのとき、隣に座っていた議長役の議員が、「だめだ」と、吐き捨てるようにすげない答を返してきた。ぼくは黙っていることができなかった。
「市民にたいして、もっと謙虚になったらどうですか」
この言葉を二回繰り返した。議長役は、
「そういうことを認めると、みんな印刷物を持ってきたらどうなりますか。混乱します」
とにべもない。ぼくは憤然として印刷物を持ち外へ出た。参加者は既に会場内に座っている。新たに来る人はわずかだ。結局会場内の人たちにはプリントは配布できなかった。意見交換が始まってから、何人かの市民と委員長とのやりとりがあった。時間の最後のほうでぼくは挙手をした。しかし議長は、発言を認めない。なぜなのか、問うと、前回発言したからだと言う。なぜ二回目ならだめなのか、さらに問うて発言の機会を得た。
 そのことがあってから、議長役を務めた議員との関係が感情的に好ましくないものになった。彼は、議会では積極的に発言し、革新議員として活躍している。しかし党派の意識の強い人で、その意識によって市民運動に対しても距離に差が出る。それでも対立的になることは不毛だ。意見が食い違っても、市民同士の儀礼を重んじ、お互いの活動を尊重し合う市民同士でありたい。
 このときの感情的なひっかかりが、無意識の世界でも動いている。ある夜半に、彼と話し合おうという声が心の中でささやくことがあった。手紙を書こうか、会いに行こうかと思う。ところが、昼間、意識の世界にいると、いや、あのときのことはそれでよい。彼もあのことで考えているだろうから、と思う。無意識の世界からは、友好的にやろうという声、意識の世界では、このままでよいのではないかと思う。さてどうするか。
「やあ、やあ、先日はどうも。一度腹割って話したいと思ってたんですよ」
「いや、いや、こちらこそ、どうも」
と、なんのことはない、多分こうなるだろう。
「どうも」というこのあいまい言葉、便利なもんだ。
 そこへもってきて16日、日本の政治は噴火した。政党所属の議員たちは地方もそれどころではなくなった。