安曇野に樹木葬自然公園と子どもの森を! 命のバトン、心のバトンを未来につなぐ<2>


今朝の新聞に、「いじめ楽しむ心の底 考えて」というタイトルでこんな投書が載っていた。書いた人は57歳の看護師、女性。

「いじめをした生徒が『遊びだった』というのは、いじめた子と同じ立場で遊んだという意ではなく、今度はどういじめようか仲間と策を練り、実行して楽しむ遊びだ。いじめを『遊び』にしているのだから『いじめ』そのものである。そもそも人が困ったり嫌がったりするのを見て楽しいと思うのは、おかしい。」

投書の初めにこう書いてある。「いじめ」と「遊び」の関係について考える要素がこの指摘の中にある。
子どもは学校という集団行動の場から解き放たれると、自分たちの意のままに群れて遊ぶ存在であった。野外で、自然の中で、勝負したり、冒険したり、創作したり、発見したり、獲物をつかまえたりした。そこにワクワク感があり、胸が高鳴り、遊びに没入する醍醐味があった。だから仲間と策を練り、実行して、遊びを楽しんだ。遊びの中で、失敗することもある、勝負で勝ちもすれば負けもする。友が困ったり嫌がったりすることもある。それを見ると、愉快にもなり、大笑いすることもあった。遊びのゾクゾク感である。だから、子どもはいたずらが好きだった。
遊びには、レベルアップがある。遊んでいるうちに、次第に上手になり、レベルが上がっていくのだ。遊びの名人と言われる子もいて、子どもの中ではあこがれだった。おとりのヤンマを糸につないで、棒にくくりつけ、「ラッホーエ、ラッホーエ」と、飛んでいるヤンマに歌うように叫ぶ。するとヤンマはおとりのヤンマにからみついてくる。こうしてヤンマをとる名人がいた。ケンパという遊び、釘さしという遊び、ビー玉遊び、メンコ遊び(大阪ではベッタンと呼んだ)、こま遊び、川遊び、すべてレベルアップが重要だった。
こういう遊びが、子どもの世界から滅んでしまったのである。
だから、子どもたちは擬似遊びをやるのだ。いじめという行為を、遊びにしてしまうのだ。子どもたちが群れでいるのは、学校しかない。放課後は、地域に子どもの遊びの群れはなく、個別の生活になる。学校のなかで、冒険的要素の代替物を求める。それは教師の眼を盗んで行なうことになる。それゆえ陰湿にもなるのだ。

ぼくが、「樹木葬自然公園と子どもの森を!」と、提案するのは、子どもたちが寄ってきて遊ぶ、野外の場を復活させなければならないと思うからだ。子どもの森を独立させてもよいが、子どもの森につながって、生を終えた人たちのメモリーの空間があるということは、亡くなった人が木に生きていることを感じ、自然をより深くとらえることができる。訪れる人が多いと、大人も子どもの遊ぶ姿を楽しむことができる。すなわち「いのちの森」である。

趣意書のなかに、構想を書いた。

樹木葬自然公園と子どもの森」の構想

安曇野市の公共墓地の分譲地がわずかになってきているという市の担当課からの報告が2012年9月市議会でありました。新たな墓地をどのようにつくるべきか、市民、行政、学識者で研究し、協議・検討していかなければならないときが来ています。
この検討に当たって、市民からの一つの構想を提案します。それは、墓地のイメージを根底から変革する新しいアイデアです。
この構想は、故人の霊を樹木の生命に託し、森をつくります。故人または家族は、公園に希望する木を植え、あるいは既に公園内にある木を選んで、共同の墓所に故人の遺骨を埋葬することで、故人の霊は幹に枝に葉に花に生き続けます。
故人の家族、友人、知人は、その森に眠る故人に会いに来て、公園の森に慰められ癒されます。この森には、たくさんの種類の樹が育ち、小鳥がさえずり、昆虫が生き、花々が咲き香ります。小川、ビオトープの池には魚、水生昆虫が住み、子どもたちの遊び場や学びの場になり、感性を育む場となります。
現代社会では、新たに墓地をつくることが困難になっています。また、他から近年移住してきた人は先祖からの墓を持たない人が多いです。その結果もあり自然葬・散骨を希望する人が多くなっています。しかし散骨では、故人を偲ぶ墓参りができません。自然葬を希望しているが、墓参りもやりたい、そういう人たちにとっては樹木葬は一つの希望です。現在、公共の墓地では東京、神奈川などまだ極めて少数で、ほとんどが仏教寺院で行なわれています。
樹木葬は、従来の公共分譲墓地よりはるかに多くの人が利用できます。同じ一本の木を何人もの人が選んでメモリーにすることができるからです。墓地を購入する費用も、墓石の費用も要らないため、費用はひじょうに少なくなります。
これまでの各地の樹木葬例では、里山再生など、環境保全の面からも行なわれてきました。安曇野市では、耕作放棄地や耕作困難地、里山などを活かし、行政の支援と土地所有者の協力によって実現できれば大きな夢実現につながります。
遺骨の埋葬方法はいくつかあり、今後の研究課題となります。
この墓地は人々の憩う自然公園であり、児童公園の要素も備えますから、従来の墓地のようなイメージではなく、明るく開放的なイメージを持つことになります。
公園の運営、維持管理は、行政と市民の協議で方策を練ります。市民のNPO法人を立ち上げ、出資者を募り、経営として成り立つようにしていきます。
計画が実現すれば、全国からこの「命のバトンをつなぐ、美しい森の公園」に眠りたいという人がやってくる可能性があります。
園内にレストラン、喫茶室などの施設を作れば観光と経済効果にも寄与する面があるでしょう。