木の細工、心安らかな日に作る楽しみ

「私は家ではティッシュペーパーの代わりに、トイレットペーパーの巻紙を使ってるのよ」
自然の木で作られた台があって、そこに木の軸に通したトイレットペーパーを取り付けると、居間でも食卓でも使える。なかなか趣があり、それを家で使っているという話をのり子さんはした。のり子さんは、「安曇野スタイル」のイベントに合わせて北海道の別海からやってきて、我が家に滞在し、「柿渋工房 邂」のオープンに伴うお手伝いをやってくれている。トイレットペーパーの話を聞いて、ぼくは中国での体験を思い出した。
「中国ではねえ、町のレストランでも、巻紙が置いてあってねえ」
今はどうなのか分からないが、8年前の中国での生活はそうだった。
トイレットペーパーという名称によって、あの巻紙はトイレで使うものという固定観念が日本では一般的になっているが、外国ではそれほど固定的ではない。あの巻紙はもっと使用範囲が広い。のり子さんは、ウイーンで見つけたトイレットペーパーを日本に持ち帰った。巻紙には模様が入っていて、香料も含まれ、いい香りがし、紙も厚みがある。家に帰って、それを木の台に取り付けたら、トイレットペーパーというイメージが変わった。見た人はみんなすてきだと感心する。木の台は京都で陶芸をやっている友人が作ったものだという。必要に応じて、くるくるペーパーをちぎって鼻をかむ、テーブルを拭く。トイレットというイメージを変えれば便利なもので、使い方も多用になるし、不潔感も払拭される。
「トイレットペーパーと言うより、ロールペーパーと言ったほうがいいねえ」
ぼくはそう言ってから、これはおもしろいと思った。ぼくも作ってみよう。とたんにぼくの頭はその設計モードに変わった。頭が設計図を描き始める。トイレットペーパーの観念が消えてしまうようなロールペーパー台の姿が次々浮かぶ。簡単な仕組みで、見ていてすてきで、使いやすい木の器具。ぼくは口数が減って、頭は仕組みをしきりに考える。木の枝を使ったプラン、丸太の輪切りを使ったプラン、頭の映像が移り変わり、木の台にフクロウが止まっているのも浮かんだ。よし、設計図を書いて試作してみよう。
のり子さんは、「安曇野スタイル」参加の「ねむのきの家」で見てきた時計の話をした。自然木を利用してそこに時計の機械を埋め込んであり、それがおもしろかったという。それを聞いて、輪切りにした木を時計盤にして、工房にふさわしいものが作れるかもしれない、と今度は時計のイメージが頭に浮かぶ。
木はいいなあ。生きている樹はなおさら、伐採されて枯れた木も材木になった木も、朽ちかけた木も、どれもこれも格別な味わいがあり、ぼくは大好きだ。樹肌は針葉樹よりも広葉樹のほうがいい。木の細工物、木彫、自然木の感触は心をなぐさめる。人間の祖先、猿の時代から、人間と木の関係は切っても切れない。
安曇野スタイル2012」に参加している工房を数軒見学すると、ひらめくものがある。桂やリンゴやいろんな木の枝で印章を作っている人がいた。そのなかにカボチャのへたを印章に使っているアイデアがあった。へえー、こんなものが使えるのか、よくぞ思いついたものだと感心する。以前、ぼくはリンゴの枝で箸置きをたくさん作った。それに柿渋を塗ったら、素朴な味のある箸置きになった。軽井沢のクラフトフェアに家内が柿渋染めの作品を出すことになり、箸置きもテントの軒先に置いてみた。けれど、一個も売れなかった。友人にはいくつかプレゼントし、我が家では今も食事のときに愛用している。のり子さんは、いいな、いいなと言う。食事のとき、家内が言った。
「スプーンと箸の両方が置けるのを作ったらいいと思うんだけれど」
スプーンとフォーク、フォークとナイフ、二つを並べて置けるもの。
それはおもしろい。木肌は木によって異なる。カエデの木肌、モクセイの木肌、カナメ、リンゴ、ナツメなど、木肌が美しく手触りのいいものがある。剪定した木の枝があれば、何か作れる。早速頭の中の制作リストに入れた。
次にひらめいたものがある。木彫でアクセサリーを作り、それを付けたループタイだ。このアイデアも、木彫のデザインと仕組みが頭の中で動き始めた。自分で作った木の枝のループタイが首から下がっているのもうれしいではないか。
木彫は楽しい。
書棚の上で眠っていた、毛筆で書かれた絵文字の書がある。9年前、中国雲南省麗江で手に入れた、少数民族ナシ族のトンパ文字の書だ。ナシ族はトンパ文字という絵文字を昔使っていた。その文字で書かれた書を四点、購入したのだが、それはまだ表装もしていないし額にも入れていない。その額縁制作をこれからしようと思っている。ヒノキを使おう。この前は、家内の柿渋染めの作品を入れる額を作った。トンパ文字の書を入れる額縁のアイデアが、制作リストに追加された。
巌さんの仕事場を見ると、古い木のサッシの廃材がたくさん処分コーナーに置いてある。「これ、くださいよ」、「どうぞ、どうぞ、トラックで運んであげます」、というわけで、細工物の材料になる古木がやってくる。これで木彫の道祖神を作りたい。
こんな意欲の湧いてくるときは、心に和やかな潮の満ちているときだ。怒りやいらだちや、悔恨や憂鬱に苦しむことのない平穏な日々こそ、小さな木の彫り物に熱中できる日々なのだと思う。