丸太で門柱を作る


「薪ストーブ用に使うかい」と、イワオさんが丸太や廃材を軽トラックに積んで持ってきてくれたのを、工房横に寝かせたまま、半年になる。ご近所で処分してほしいと頼まれて片付けたもので、杉の木の丸太と古小屋の柱や梁だ。薪にするなら、チェーンソーで短く切り、手ごろな太さに割らねばならない。チェーンソーはまだ購入していない。手で引くのこぎりでは、労力が大変だ。これを何かに利用できそうだと思案していたら、浮かんできたアイデアがある。杉丸太は工房入り口の門柱にする、小屋の廃材はつるバラのアーチにする、デザインが湧いてきて、これはいけると思えた。
11月はじめに、「安曇野スタイル2012」という民間人による催しがある。安曇野には、アトリエ・工房、ギャラリー・美術館、クラフトショップ、個性的なカラーをもつ宿泊施設・飲食店などがたくさんある。それら安曇野の文化を創り出している人たちが集まって、4日間、それぞれの創作活動を一斉に公開しようというイベントである。柿渋染めをしている家内が今年からそれに参加することにした。催しのチラシもできて、イベント用の地図にも掲載された。
というわけで、標識を掲げねばならないことから、杉丸太の利用が出てきたというわけだ。
丸太の一本は、長さが2メートル60、直径30センチある。これに「柿渋工房 邂」という文字を彫った板をくっつける。この丸太は地面に掘った穴に埋めて立てる。「邂」という名前は家内が考えてつけたものだ。「邂逅」から思いついたのだ。ずなわち「人と人の出会い」、やってきた人と出会い、つながっていくように。
イチイの木の垣根の端の一本が生長できていなかったから、それを抜いて別の場所に移動し、その後に丸太を立てることにして、えんやこら、ツルハシとスコップをふるうのは力仕事だった。イチイの木の下は、るいるいと石が堆積していた。昔このあたりは川だったと、地質を調査研究していたこともある近所の大池さんが言っていたが、そのとおりだ。石を取り出すのがまた力の要ることだった。
丸太が腐らないように防腐処理として、土に埋める部分は火で焼くことにした。そのほかの部分は防腐剤を塗る。彫刻刀と木彫ノミで彫った文字の部分には白いペンキを入れる。
まだ完成はしていない。もう一本つくる計画で、しばらく頭の中にこの作業の工程やらイメージ、またアイデアやらが浮かんでは消えていく。家内は工房に入って、柿渋の作品づくりに一生懸命だ。「安曇野スタイル2012」では、お客さんがどれだけくるか、楽しみでもある。作品の展示と実際の染色体験もできるという計画だ。

昨日夕方、学校から帰ってきたら、家内が、
「太田さんが、ワラが少し余ったから取りにおいでと言っていたから、もらってきて」
と言う。ワラも畑で役に立つ。一輪車でもらいにいくことにした。
今朝はにわか雨が降った。朝の散歩の途中で降られて、少し濡れ、一軒の家の軒で雨宿りをさせてもらった。7時前だったが、もう小学生二人が登校していた。あの子らも濡れただろう。
今年は咲かないかなと思っていた彼岸花が4本、咲いた。

もらってきたワラは、白菜、レタスの苗を定植した畝に敷いた。