霧の朝

今朝は一面の濃霧だった。白いガスの奥から小鳥の声だけが聞こえてくる。景色が見えなければ、音がよく聞こえる。刈り終えたばかりのソバ畑の土がしっとりぬれた。この秋、濃霧が立ち込めたのは今日が二回目だ。ベストを余分に着込んで歩く朝の道、秋ならではのかすかな香りが野にただよう。舗装道路の上に、点々と油のしみのようなものが、いくつも付いているところがある。テニスボールほどのしみは、多いところでは100以上はある。そこはクルミの木の近くだ。カラスがクルミの実を木から取ってきて食べた実の皮に油が含まれ、それがアスファルトに付着している。クルミの木は剪定されることがなく、木の勢いでぐんぐん伸びて、大木になる。時期が来れば枝先についた実は落下し、青い外皮がとれて堅い殻が出てくる。栗も落下してイガが取れ、実が出てくる。カラスは、まだ落下する前の実を枝から失敬して、上空から落として割って食べる。落とす場所は、畑のような柔らかいところでは割れないから、舗装道路になる。道路上のクルミ油の跡を見ると、その近くにクルミの木があることが分かる。よくもまあ、こんなに取って食べたものだと思うほどのしみ跡だ。クルミは冬を迎えるカラスにとっては、すばらしいご馳走だ。
霧は、山のほうに登っていくうちにかすれてきて、やがてうっすら朝日が差し始めた。野沢菜、キャベツ、白菜が大きくなっている畑がある。植える時期が早ければ、生長も早い。気温が日一日と下がっていく秋は、種まきが数日遅れれば生長に大きな差が出てくる。残暑が残っているときに種を播くと発芽率が悪くなることもあり、気温が下がって種蒔きするとまた発芽も悪い。適温の時期をやり過ごさないように、農家は長年の観察と体験で会得しているのだろう。
神社から少し上って下り道に入る。霧がまた濃くなる。霧の中から一人のご婦人が現れた。挨拶を交わす。
「最近すこし歩いているんです。夏の間は歩かないでいて、検査でよくない数字が出て、歩くことにしたんですよ。歩くと、ほれ、脚が痛くなくなりました」
年は84歳ということだった。
「その運動靴、それがいいですね」
ご婦人のはいている靴は、裏底の厚いクッションのよくきいた靴に見えた。
栗の落ちているところに来た。ランはいつのまにか栗を食べるようになった。落ち栗をいただいている間、ランも2、3個カリカリと口に入れてかんでいる。
霧の中をチャイムの音が聞こえてきた。豊科の街から聞こえてくるのはベートーベンの第九合唱の一部分、日本でも歌詞をつけて歌われるところだ。
霧はやがてはれる。はれると、山もくっきり、雲ひとつない秋晴れだ。
今日は、つるバラを植えよう。