おばあさんの口伝え<ノーベル賞作家・莫言の描く故郷>

以前コーギー犬がいた家の前に、大根やトウモロコシが植わっている畑がある。
「大根、大きくなっていますねえ」
畑から出てきたご婦人に声をかけた。
「トウモロコシ、まだできるんですか」
もう季節はずれに見えるモロコシの葉が黄色くなりかけている。
「今がいちばんおいしいんです」
「えっ、そうですか」
思いがけない答えだった。トウモロコシは暑い夏場のもんだと思っていた。
「おばあさんからの口伝えで、7月20日に種をまけ、と言われていましたから、我が家ではそうしてきました。今年は暑かったから、7月30日に播きました」
トウモロコシは多くの家でもっと早く種を播いている。この意外な応えはぼくの心に何か刻むものがあった。その家その家の「口伝」と言えるものがある。農民、職人、商人、それぞれの仕事のなかで体得したこと、会得したことがある。その知識は実際に結果を得て、確かにそうだと次の世代に継承されている。
タマネギの播種の日を、米作りをしている唐沢秀武さんに聞くと、9月9日ですと返答があった。子ども会のサツマイモ収穫のとき、レンゲプロジェクトの技術指導をしている伊藤さんに、ぼくの畑の黒豆の収穫時期を聞いたら、伊藤さんは「今月の末ごろですね」と答が返ってきた。
我が家のサツマイモは、去年ネズミによる被害で、80パーセントは食べられてしまった。土の中のモグラの穴を使って侵入した畑ネズミが、収穫前に食べてしまっていたのだ。そのことをブログに書いたら、歯医者の布山さんが、木酢液をまくといいとコメントに書き込んでくれて、ぼくが歯の治療を受けに行ったとき、布山さんの家で採取した木酢液をたくさんいただいた。今年それを薄めてサツマイモ畑にときどき撒いてきたら、効果はてきめん、鳴門金時は豊作だった。
「口伝(くでん)」という言葉が頭の中で、小さくチリンチリンと鳴っていた。ひらめきのような、かけらだった。この村の長寿の人々の「口伝」を取材してみたい。あのリュウタロウさんのおばあちゃん、90度に腰を曲げたまま農作業をしているおばあちゃんからも、暮らしのなかの「口伝」を聴いてみたい。日本語教室を一緒にしている高橋さんのおばあちゃん、漬物の名人と言われるおばあちゃんの「口伝」を聴いてみたい。
家に帰って新聞を開いた。ノーベル文学賞を受けた中国の莫言氏の記事があった。東大教授の藤井省三氏が、「莫言は巨大な語り部」と書いていた。
莫言は、文化大革命のとき貧困と差別の中、小学校を退学して牛飼いとなった。その後、臨時工を経て軍隊に入った。小説を書き始めるのはそのころだった。が、小説は共産党の政策を民衆に宣伝するものと規定されていたから、書くのは宣伝小説だった。あるとき莫言は、川端康成の「雪国」を読み始めた。そこで一文に出会った。
「黒く逞しい秋田犬がそこの踏石に乗って、長いこと湯を舐めてゐた」
この瞬間、小説とは何かを悟ったという――犬を書いても、自分の故郷を書いても小説なのだ。それから莫言は故郷・農村を書き始める。
藤井省三氏は、記事の最後に莫言の実家を96年に訪ねたときのことを書いている。
「平屋石造りの堅牢で清潔な農家と、門前でひなたぼっこをしている牛たち。冬の畑にはようやく麦が芽を出したところで、黄土大地が見晴らす限り続いている。莫言の故郷の風景を見ながら私はこんな感慨にふけっていた。――今は平和を楽しむ村も、激動の中国現代史においてどのような歴史を積み重ねてきたことか、彼の魔術的リアリズムとは村の遠い記憶を掘り起こし、今の暮らしを見つめることなのだ。中国広しといえども、農民の情念と論理を描いて莫言の右に出る作家はおるまい。」