穴の開いた帽子に靴

ガーデニングの仕事をしている店の前に、昔のなつかしいオートバイがおいてあった。骨董品なのか、まだ使えるのか。>





横たえた丸太に防腐剤を塗っていた。うつむいているぼくの頭が女房の眼に丸見えになった。
「帽子、穴が開いているう。穴から頭の地が見えるよ。はっはっは」
うん、穴が開いてるよ。穴が開いてるから空気の流通がいいよ。
このキャップ、ホームセンターの売り場で格安で売っていた。作業用にかぶっていると、汗もかく。汗をかいても、翌日またかぶる。脂や汗でこてこてになっても、かぶっている。あまりにひどいから、洗濯した。もちろん石鹸を使って手洗い。そうしたら、あちこち破れた。やっぱり安もんだ。それでも破れたところを縫ってまたかぶる、ボロ帽子でも無いよりはまし。
「穴の開いた帽子に、穴の開いた靴」
とぼくは防腐剤を塗りながらつぶやく。女房がまた笑う。
「賢治以上だよ」
と言う。宮沢賢治を比較に出すのは、そりゃ、ちょっと賢治さんに失礼だなあ。
作業するときのぼくは、帽子も靴も、ボロっちい。服も袖なんか擦り切れている。
靴なんか、底と甲の部分が、はがれかけていたり、甲が破れていたりする。ゴム長の場合は、破れると、自転車のチューブの古を切り取って、破れているところにゴム糊で貼り付ける。これでまた履き続けることができる。履き古した布靴や革靴は、底やサイドから土が入ってくるようになればお払い箱になる。
畑や庭の仕事、さらに大工仕事は、人の目にふれることはないから、ボロボロでもよい。ところが女房にとっては、たまらん。ご近所の人は仕事服も清潔で、なかなかオシャレもしている。お隣のOさんなんか、イギリスの紳士が庭仕事をしているかのようだ。かっこいいハットをかぶり、服もセンスがいい。女房は、今の時代、そんなボロボロを着ている人なんかいないよ、と言う。ぼくは頑固に、これでいい、農家はこんなもんだとつっぱって、ボロを着てても心は錦とか言う。この言葉、いろはガルタにあった。すると女房は、最近の農家の人はもっときちんとした野良着を着ているよ、と言う。
ある日突然、女房が作業ズボンを買いに行こうと言って有無を言わせず、とうとうスーパーで買う羽目になった。新品はきれいなもんだ。それを作業用に使うのはもったいように思う。服やズボンは土がつき、塗料がつき、草刈をしたら草の汁も付着する。それが味なのにとぼくは思う。ま、それでも新品も何回か作業に使うと、たちまちしみだらけになった。
今使っているゴム長は国産のもので、良質のゴムを使っており、もう12年以上履いているが、まだ大丈夫だ。安曇野に来て、雪の日に履く、雪の入らない暖かいゴム長をもう一足、ホームセンターで買ったが、これは国産のじゃなく、派手なデザインと色をしていて、一冬履いたらもう足首の屈折する部分や、甲の部分、底と甲の間が、ばりばり破れた。素材がむちゃくちゃ悪い。そこで自転車のチューブによる補修をした。しかし長続きしない。また補修となる。やっぱり良質のものがいい。
ぼくの持ち物で長持ちの記録に、傘がある。通称「大きな傘」と呼んでいる、普通の傘の一周り大きいものだ。これは二十年も使っていて、今も現役だ。強風に骨が折れたら、ブリキの切れ端を適当な形に切りとって、折れた骨のところを補強する。そうしてまた使う。布はかなり古ぼけて色あせているが、まだ大丈夫だ。