認知症にならないかね


 ミヨコさんが、いきなり庭の畑に入ってきて、ランが吠えた。
「なに、鳴くだ」
ミヨコさんはランに近づいて頭をなでた。
 何か用があるんだな。野菜の苗を植えていたぼくは手を止めて、ミヨコさんを待つ。
「ねえねえ、医学のことよく知っているかい」
ミヨコさんの足はおぼつかない。
「医学の知識ねえ、専門的なことは知らないよ」
認知症って、どんなんかね」
 話を聞いていくと、またまた長い話だった。ミヨコさんと並んで勝手口の石段に腰を下ろしたら、お尻が少し冷たかった。もうそんな季節だ。ぼくは、耳を傾ける。
「せつないね、泣けてくるね」
 40年親しくしていた友だちから電話がかかってきた。その友だちが認知症になったということが分かった。自分が電話したことも忘れている。気に食わないことがあると腹を立てて、ドアを大きな音を立ててびしゃっと閉めたりしている。認知症になると、よく怒るらしいね。
 友だちの家のことは話が入り組んでいて、なかなか理解が難しかったが、じっと聞いていた。話は、ご近所に住んでいる人にも移っていった。その人も長年の親友だったが、認知症になって今は施設にいる。
「私も認知症にならないかと思うとせつなくなってね。姉と話をしていたら、泣けてきてね」
姉に電話したら、
「人のこと聞いて、そんなに心配していてもしようがないでしょう。そんなに気にしていたら、ほんとに自分も認知症になるよ」
と言われた。
「私も認知症じゃないかね」
 ぼくは、少し自分の知っている認知症のことを話した。
「心配なら病院で検査してもらったら。今は認知症の進行をいくらか止めることもできるようですよ」
 そう言うと、大きな病院では診てくれない、町医者では相手ににされなかった、行けば毎回不必要なレントゲンを撮る医者もあって信頼できなくなったと言う。
「人間は誰でも年を取ると、老化が起こりますよ。認知症にもいろいろ種類があるでしょう。健康でも老化はあるんです。脳細胞は毎日毎日こわれているんですから。私もそのうち認知症になるかもしれないし、ボケるかもしれないし。」
 ミヨコさんは、82歳になり一人暮らしをしている。子どもはいない。主人は10年ほど前に亡くなった。お姉さんは別の街で一人暮らし。行く末が心配な二人は高齢者のホームに一緒に入る予定をしているが、まだ元気なうちは自分の家で暮らしたい。家には愛犬のマミもいる。
「人と話をするといいというから、電話で話をしたり、マミと話をしたりしているけど、それでも話を聞いてくれる友だちがいなくなって、せつないね、さびしいね」
そういえば、ミヨコさんはマミによく話をしている。
「私、へんなとこないかね。認知症にかかってないかね」
「それだけしゃべれたら、大丈夫ですよ。」
「人は、ほんとのことを言ってくれないからね」
認知症かなと思ったら言ってあげますよ」
「ほんとかね、安心していいかね」
「安心しなさいよ。おかしいと思ったら言ってあげます」
ミヨコさんの顔に笑いが浮かんだ。ひとしきりしゃべって、胸のつかえが下りた。そのとき、勝手口の戸が開いて、家内が顔を出した。
「はい、ゆで栗です。どうぞ」
 今ゆでたばかりの栗の入った紙袋を、ミヨコさんに渡した。栗の入った袋は熱かった。ミヨコさんの顔がさらに明るくなった。ミヨコさんは栗を持って、ぼちぼちと歩いて帰っていった。
「いい人が来てくれてよかった」
と声を残して。
 夕方、ミヨコさんの声が道路で聞こえた。毎日マミを散歩してくれている宮さんと一緒に散歩から帰ってきたところだった。今日はかなり距離を歩いたようだ。宮さんも一人暮らしだ。