ニホンオオカミのいたころ



ニホンオオカミは絶滅したとされている。けれど、まだ生き残っているのではないかと、現代も探している人がいる。目撃談や声を聴いたという人もいる。私もその一人。
狼がいなくなってから、何かが変わっただろうか。
最近とみに鹿の増加とその被害が言われている。鹿は森の木の幹をかじって、枯死させてしまう。兵庫の山奥の進さんの村では、鹿が田畑の作物を食べる被害にたまりかね、ほとんどの田畑にフェンスがつくられていた。猿もいのししも、さらに熊も、人里に出てきて、畑を荒らしたりする。最近熊が稲を食べている写真が報道された。熊の場合は人間とぶつかってトラブルにもなっている。おぐらやま農場の暁生君は、果樹園に侵入して果物を食べる猿を追い払う策に、長いロープを果樹園にはって、飼い犬をつないだと言っていたが、効果のほうはどうだったろうか。雅人君の畑ではカボチャが持っていかれた。カボチャを抱えた猿の姿を想像するとこっけいな感じもするが、20個も持っていかれると、気分は穏やかではないだろう。私が奈良にいたとき、山麓の田畑を耕作する農家はイノシシの食外に悩まされていた。「ししがき」と呼んでいた防護柵を山沿いにめぐらしても、1メートル半ぐらいの高さなら軽々と飛び越え、強力なイノシシの牙と鼻は、田んぼの畦をブルドーザーで崩すように破壊していた。
このような被害が起きるようになってきたのは、山の食べ物が少ないことや、人里と山林との境目で緩衝地帯をつくっていた、人の利用する里山の崩壊も指摘されている。
そしてまた、これらの動物の頂点にいた狼の絶滅が、生態系を狂わせてしまったとも言われている。狼が鹿やイノシシの数が増えることを調整してくれていたのだが、その調整機能役がいなくなった。今は鹿の数を抑えようと、猟友会が活動しているが、山へ入って狩をする人が少ない。
具体的な被害という視点から見ると、そういうことなのだが、狼の存在は、人間の精神に及ぼす何かがあったのではないかと思う。自然への畏敬の念なのだ。狼が生きていたころ、明治のころまでだが、狼を神としてまつっていた地域もある。その一方で、害を及ぼすもの、危険なものをなくせ、と撲滅を生真面目に日本人は遂行した。
狼が絶滅して、山や森、自然への恐れの念、不思議を感じる心、それらが変質したのではないかと思える。

柳田國男が遠野の人々の体験を記録した「遠野物語」に狼の話がいくつかある。
ある雨の日、小学校から帰ってくる子どもが、山口村の岩山を見ると、岩の上にところどころ狼がうずくまっていた。やがて首を押し上げるようにして代わる代わる吠えた。正面から見ると生まれたての馬の子ほどに見え、後ろから見ると存外小さく見えた。狼のうなる声ほど恐ろしいものはない。
ある夜、馬方連中が、4,50頭の馬を引いて峠を越えていた。すると2、300頭の狼が追ってきた。その足音は山もどよむほどで、あまりの恐ろしさで、ひとところに固まって周りに火を焚いて狼を防ごうとした。けれど狼はその火を躍り越えて入ってこようとする。とうとう馬をつないでいた綱を解いて、それを周囲にはりめぐらしたら、狼は落とし穴だと思ったのか、もう飛び越えてこなくなった。取り囲んだ狼は、夜明けまで吠えていたということだ。
佐々木君が幼いころ、祖父と二人で山から帰ってくると、谷川の岸に大きな鹿が倒れていた。横腹は破れ、殺されて間もないようで腹から湯気がたっていた。祖父は、これは狼が食ったのだと言った。その鹿の皮がほしかったけれど、狼が近くに隠れているから、取れないと言って帰ってきた。
遠野物語」は文語文で書かれている。こんな小文もある。

「草の長さ三寸あれば狼は身を隠すといへり。草木の色の移り行くにつれて、狼の毛の色も季節ごとに変りて行くものなり。」