お年寄りのトレッキング、おしゃべり、ビール

 高齢者が山をグループで歩いている。この国も高齢者が元気だ。トレッキングコースを5、6人で、あるいは7、8人で仲良く歩いている。背中にザックを背負い、両手にストックをついている人もいる。途中で休憩して岩の上に腰を降ろしている一組の横を通り過ぎるとき、一人のおじさんがにこにこ笑いながら、小箱を差し出してきた。見ると、チョコレートだった。ぼくもにっこり笑って、一粒をつまんで、
 「ダンケ」
とお礼を言って通り過ぎた。口にほりこむと甘さがとろけた。
 日本の山でも、途中で出会う人と、「こんちは」とかあいさつを交わすが、ここでも、「ハロー」と声をかけてくる。「ハロー」「グーテンターク」
 犬を連れて登っていく老人が何人かいた。体格のいい彼らは健脚そうだったが、顔には年齢が刻まれていた。犬はよくしつけされていて、飼い主の指示に従っている。犬を連れた人同士が行き逢ったときがあった。彼らは相手を確認したとき、アッという間に、愛犬の口に口輪をはめた。まったく手馴れたものだった。
 子どもたちも野外の自然の中に出かけていく、老人も森や山の息吹を胸いっぱいに吸い込みに出かけていく。

 チロリアン航空の待合室で待っていたときのこと、予定時間が近づいてくると、あたりはにぎやかになってきた。搭乗時間前に集まってきた人たちの多くは普段着のままで、サンダルをつっかけた女の子もいる。集まってきた人たちは三々五々、小グループで立ち話をしている。そのおしゃべりにぼくの関心が行く。小さなおしゃべりだが、あっちでもこっちでも盛んに行われて、あたり一面ざわめいている。親しいものたちのはずむ会話だから気にならない。
 この国の人はよくおしゃべりするなと思った、それが最初だった。
カフェに入った。雨の日だったからか、カフェがにぎわっていた。大きなカフェで、40席ほどテーブルがあった。そのテーブル一つに数人が座っておしゃべりに花を咲かせている。耳を傾けると室内に充満する人の声、やっぱりこの国の人はよくおしゃべりする。
 この国はカフェ文化、イギリスはパブ文化、ドイツ、フランス、他の国にもおしゃべりに花を咲かせる文化がある。日常生活の中に、親しい友人とコーヒーや紅茶を飲み、ビールを飲み、大いに会話や議論を楽しむ。
 子どもの時代から学校教育においても、会話、討議を大切にする国柄だ。日本の学校はどうだろう。意見を言えない、意見を言わない、それでは民主主義はつくれない。

 「よいときに来ましたね。今日からフェスティバルが始まります」
いきなり飛び込んだ宿で、オーナーのおばさんが言った。牧草地帯に囲まれた小さな花の村。ちょうど牧草の収穫期で、刈り取りが行われていた。村々には高い尖塔をもつ教会があった。その周りを家々が、花を窓辺にかざって取り囲んでいた。祭の準備をはじめた村の男たちが、道端に小屋がけ作業をしている。祭りのイベントをおこなうステージだ。そこにビール瓶が置いてある。みんなでわいわいやる仕事、昼間から手を止めてビールを飲み、話に夢中になり、笑いさざめく。夕方には間に合うのかなあと思っていたら、なんとか準備が整っていく。午後8時から前夜祭だ。ここはヨーロッパでいちばん美しい村。クロウタドリが鳴いている。
 茨木のり子の詩を思い出した。



        六月

    どこかに美しい村はないか
    一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
    鍬を立てかけ 籠を置き
    男も女も大きなジョッキをかたむける  


    どこかに美しい街はないか
    食べられる実をつけた街路樹が
    どこまでも続き すみれいろした夕暮は
    若者のやさしいさざめきで満ち満ちる


    どこかに美しい人と人の力はないか
    同じ時代をともに生きる
    したしさとおかしさとそうして怒りが
    鋭い力となって たちあらわれる



 フレンドリーに会話する人たちと、逆になんともそっけない人もいた。
 国鉄の駅に切符を買いに行った。こちらは英語もドイツ語もきわめて弱い、それでも要求は伝えねばならないから話す。ブリックスレッグ駅で途中下車して一泊し、翌日また列車に乗って目的地まで行く、それを一枚の通し切符でいけるか。このときの若い女性の職員は木で鼻をくくったような応対だった。要するに、それはできない、ということだったが、顔を見ず、パソコンを打ちながら、時刻とコメントを書いて印刷した紙を手渡し、あごをしゃくって終わり。やっぱりどこの国でもこういう人はいるなと思う。官僚的な仕事だねと思いつつ。
 日本ではこの「官僚的」という言葉で表される気風は、官僚政治に伴う考え方や態度だった。大きな組織になってくると、型にはまって、機械的、能率優先で、上から目線の応対になってしまう。血の通わない横柄な態度だと思えて気が重かった。しかし考えてみれば、彼女は職務をたんたんと能率的に遂行し、必要以外のことは排除して合理的にこなしていたのだろう。そう考え直した。

 列車に乗った。一時間の乗車だった。列車はすいていた。後ろの席に家族らしきグループがいた。おじいさん、おばあさん、息子夫婦、孫、三世代家族だ。通路を挟んだ両側のます席に座っていた。彼らの席から声が響いてくる。おじいさんの声がひときわ大きい。誰かが発言するとおじいさんが発言する。ぼくらが下車するまでの1時間、会話はえんえんと続いていた。さらに彼らは会話を続けただろう。