いじめ自殺について思うこと(6)


 カウンセリングの研究実践をしている同僚のS先生から「こころのルネッサンス講演会」が開かれると聞いて、参加してみたいと思った。以前から聴いていた「NPO法人日本精神療法学会」のカウンセリングは、昔ぼくが受けた講習会のロジャースの理論が頭の中にあったから、ストンと共鳴するものがあって即決したのだった。
 7月29日、松本文化会館のホールには数百人の参加者が来ていた。この日のメインの講演は、画家の原田泰治さんということもあって、その話を聴きたい人も多かったのだろう。「NPO法人日本精神療法学会」代表の松本文男さんが、どうして原田泰治さんを招いたのかと話した理由もなるほどと腹に落ちた。
 今いじめ問題で裁判になり警察が入るという事態になっている。「いじめた子も、いじめられた子も、人間と人間のかかわりのなかで、ほんものの勇気がわいてくる活動や実践こそが、パーソナリティを変える。心が変わる、そういう革命が起こらなければ、日本はよくならない、よみがえらない。認知行動療法が世界の主流になってきているが、カウンセリングの範疇だけでなく、さまざまな療法が行なわれている。私たちのカウンセリング協会を精神療法学会と改名したのもそのことによる。原田泰治さんを招いたのは、原田さんの絵を見ると、心がほかほかする、心が安らぐ、エネルギーがわいてくる、夢が見えてくる、どうしてか。原田さんの絵にあるもの、観る人に引き起こす力、それこそカウンセリングそのものだ」、松本文男さんはそう紹介した。原田さんは、日本の原風景、田舎の暮らしを独特の素朴画に描いてこられた。
 車椅子に座り、演壇に登場した原田さんは、大きなスクリーンに自分の絵や写真を映しながら、「一本の道」という話を1時間に渡ってなされた。一貫して自分の生い立ち、家族のことであった。三番目の子として生まれた原田さんは小児麻痺にかかり、両足が動かなくなった。産みの母はその後すぐに亡くなり、二番目の母が迎えられた。その母は、ひたすら泰治を世話し育てた。話はいじめられたり、差別されたり、深刻な話なのだが、原田さんはユーモアたっぷり、まるで漫談のように話していく。爆笑の連続だ。なかでも修学旅行の話は印象的だった。小学校の修学旅行では、学校側は障害をもつ泰治を連れて行けないと通告してくる。それに対して父親は、障害を持つものであるならばより世界を観に行くことが少なくなるにもかかわらず、それを理由に参加を断るとはなにごとか、学校へ父親は二度談判に出かけて、とうとう参加を認めさせた。中学校の修学旅行でも同じことが起こった。父親は今度は三回学校と話し合う。そして参加は認めるがそのかわり、父親も泰治の世話に付き添い、さらに泰治の所属する班の他の生徒も世話することが条件ということになって信州から京都奈良に出かけたのだった。教師たちの修学旅行記念写真の中に父も並んで写っていて、原田さんは、「このいいかげんな教師たちのなかで、これが私の父親で、いちばん教師らしいです」と茶化すと、またも大爆笑。父親はすごい人で、山の上の急斜面に畑を開き、そこは水のないところであったから稲が作れない。そこでトンネルを自力で掘って水を通すという、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」のモデル、青の同門のようなことを実際にやってのけたという。
 私は本当のことを話すということになると、こういう自分のことになります、と1時間を笑いと安らぎと愛に満ちた話で充たした原田泰治さん。松本文男さんは、原田さんの講演を、参加者自身がカウンセリングとはなんぞや、と自分の心を通じて感じ取る実践の場にしたのだった。
 講演につづいて、三人の鼎談となった。マタニティークリニック病院長の根津八紘氏が加わった三人。松本氏は「傾聴」という言葉を使っている。本当に傾聴すると、エネルギーがわいてくる。大脳生理学でもそのことが明らかになりつつある。脳の細胞が変わる。学校が不登校児に、指導と称して子どもをいっそう幻滅の渕に追い込んだり、教育委員会児童相談所の指導者が、子どもたちのエネルギーを奪う作業を熱心に行なったり、企業が、出勤不能の従業員を再び立ち上がれないような窮地に追い込んだりしている、異常なことが日本ではまかりとおっている。カウンセリングとな名ばかりの、言葉のうえだけの指導になっている。いじめも、子どもが聴いてもらっていない、聴いてやっていない状況のなかから起こっている。このNPO法人が行なっている4日間のサマースクールでは、共同生活をしながら、聴いて聴いて聴いていく、心の奥底を聴く、感じ取る。そうすると、いじめている子もいじめられている子も心を開き、自分の力で生活設計をはじめ、自分の力で道を見出していく。
 喜び、勇気、希望を持って生きていく子が現れてくる実践を創造していかないかぎり、日本の学校も企業も社会も変わらない。
 エネルギーをもらった「こころのルネッサンス講演会」だった。講演会そのものがカウンセリングの場であった。