早起き社会に変われ


 一日のなかのいちばん快適な時間は太陽が昇るまえの数十分、すでに山は眠りから覚め、田の水見をする農夫の姿が遠くに見える。朝露の野道を深呼吸しながら歩く至福の時間はこのうえもないすがすがしさで、身体に力が蘇ってくる。一日のうちのもっとも価値ある時間、午前4時から6時ごろまでを味わうことなく未だ眠りのなかにある人が多い現代という時代。
 「夏には山へ行こう、山こそ我が家」とスイス民謡を歌った山恋の若き日々は、夏山の朝3時か4時には起きて支度をし、今日はあの岩稜へ、明日はあの峰へと胸躍らせ、夜明け前にキャンプを出発した。登高、登攀の一日を終えテントに帰ってくるのは午後3時ごろ、それから食事の準備にとりかかる。夜のとばりが降りるまでにすべてを終えて、暮れれば就寝できるようにするのが山の生活だった。夜更かしはなく、夕べの食事を作って食べ終わると宵闇が夜の香りを漂わせて訪れる。ランタンを灯して歌う食後の憩いがあっても、午後8時には寝袋に入った。穂高岳の涸沢合宿や剣岳の剣沢・真砂沢の合宿はベースキャンプの暮らし、そして山から山、峰から峰へ、アルプスの全山を踏破する縦走は、毎日キャンプ地を変えながら、明るい時間帯を一秒たりとも無駄にしない生活だった。
 山人と同じように農家の一日も、湯水のようにエネルギーを消費する物質文明が生活全般を覆うようになるまでの時代、町の暮らしも、太陽の動きに合わせる一日だった。黎明に活動を開始し、暮色が訪れ、野道にまだ残照があるころ家路につく。それが自然に合わせる人の暮らしだった。
 しかし、現代社会は、朝9時以降に多くのシステムが操業する。夜明けから4時間もあとに。そして電気を煌々と点して夜が更けていく。
 今朝、まだ太陽が昇ってこない時刻、軽トラックを停めて、一人の男性がカメラをぶら下げて山を眺めていた。あいさつを交わす。
「ここで見る常念岳は、頂上が三つの峰になっているだね」
と男は言った。男性は豊科の在で、家の近くから見る常念岳は頂上が一つに見える、この地に育って今まで知らなかったと言う。ぶら下げていたカメラは、今はもう珍しいフィルムの、だれでも撮れるとよく売れた小型カメラだった。
「私は昔からこのカメラで写真を撮ってきたでね。今もこれを使っているだ」
デジタルカメラ時代の変化はその人にはないようだった。
「子どものころは、このあたりまで柴取りに来たものだが、ここらは松林だったね」
と言う。
 家々の庭に、サルスベリの花が咲いている。ノウゼンカズラの赤い花も見える。
 一時間の散歩の最後は、クルミの大木のある大豆畑で草とりをする。朝の日が、クルミにさえぎられて畑の半分は日陰になる。木の下にランをつなぐ。ぼくの姿を見つけた近所の床屋の主人がやってきた。
「トウガラシ、どうかね。食べるかね。夕顔もあるだが、どうかね」
 そんなに辛くないから、いためるといいだよ、夕顔はかんぴょうにしてもいいが、汁物に入れてもいいよ、と持ってきてくれたのをありがたくいただいた。おやじさんの奥さんは、昨朝はジャガイモの収穫をしていたが、今朝はカボチャの収穫をしていた。日が高くなるまで、日ざしがきつくなるまでの快適時間は、畑の時間だ。
 朝のこの時間帯へ、一日の生活時間をずらすサマータイムのような、それ以上の大胆な暮らし方の変革をすれば、現代人の感覚も変わるだろうに。町の暮らしも「早起きは三文の徳」どころか、もっと社会全体に大きな得がうまれることだろう。夜更かしが少なくなれば、電力などのエネルギーも減らすことができる。