畑のうねは、東西の方向か南北の方向か



 畑の東隣にクルミの巨木が四本ある。十数メートルの高さになる樹はたわわに実をつけ、ポトリポトリと自然のまびきを行なっていて、樹の領域にあたる地面は青い実がころころ転がっている。樹の下に立つ。見上げると、茂る緑のドームのなかにいるようだ。
 去年まで地区の子ども会と地元の運動体・レンゲプロジェクトがサツマイモを作っていた畑は一反歩(300坪)の広さだ。今年の子ども会はこの畑にサツマイモを植えず、春にレンゲプロジェクトがレンゲ祭りを開催した彰久さんの農場に移転した。そこは名所の道祖神桜の下にある。
 クルミの樹の隣の、この畑地は土地の所有者に耕作意思が無く、以前からそうであったように、またもや草ぼうぼうの耕作放棄地に戻る恐れがあり、そこでぼくにも声がかかったというわけだ。使ってください、使わせてもらいます、この関係が成立した三人で三等分して使わせてもらう。話し合った結果、ぼくの使わせてもらうのは南端の百坪ほど、ぼくはそこに大豆をまくことにした。秋になるとエダマメで食べられるし、十一月に完熟すれば大豆として味噌に加工できる。種子は彰久さんに相談するとよい、とプロジェクトの藤森さんに聞いて、彰久さんの家に出かけた。
 大型の麦刈り機を試運転していた彰久さんは、「あいよ」と大きな紙袋に入れた黒豆をドサッと出してきてくれた。
「使っとくれ」
 こういうところが彰久さんのきっぷのよさだ。黒豆はとても使いきれる量ではない。
 レンゲプロジェクトの伊藤さんが三回も耕運機で耕してくれた畑は南北に長い。種をまくにあたって、うねの方向をどうするか迷った。この地の畑の多くは南北にうねをつくっている。しかし、ぼくは東西のほうが、作物に南からの太陽がよく当たると考えた。それにこの畑地の形から、東西のほうがうねの長さが短くなり、うね立てしやすい。そして、東に隣接して道が通っているから出入りしやすい。
 うねは東西方向に決定して、朝からうねの幅を決めて糸を張っていると、土地の北側に住んでいるオヤジさんがやってこられた。
「何植えるだ?」
「大豆をまこうかと」
「そうかい。大豆はまだいけるかい」
「トウモロコシと大豆はまだ大丈夫だそうですよ」
「うねは東西にしたかい。このあたりじゃ、みんな南北に作っているだよ。南北だと、午前中は東から日があたり、昼は上からあたり、午後は西から日があたり、一日日があたるでね。変えましょ、変えましょ」
「なるほど、なるほど」
 おじさんが行ってしまってから、もう一度やりなおすか、と考えた。まあ待て、ちょっと調べてみよう、畑はそこまでにして考えることにした。株の間隔が適当に開いていたら、東西で充分日照が得られる、むしろ南北のほうが株間が狭かったら隣の株で昼間の日照が制限される、やっぱりこのままにしよう、そう決めた。
 翌日、道でイワオさんの奥さんに出会った。畑の方向を聞いてみた。
「うちも去年まで東西にしていたけれど、今年は南北にしましたよ。特にどちらでもいいんじゃないですか」
 午後、畑に出かけた。クルミの家のおじさんが草を刈っている。おじさんと言っても、けっこうなお年だけれど。そこで畑の方向について意見を聞いてみたら、わははと笑った。
「東西でも日照はあまり違いはないですよ。ここらでは南北にする人が多いね。風が強いからね」
 それを聞いて、一挙に理解した。気持ちの上では発見した思いだった。
 要するに、この地方は南からの風と北からの風が強く吹く。特に南からの風が強い。
「このクルミも二本倒れたでね」
 見ると大木の二本は北北東に倒れて幹を土に着け、そのまま幹から根っこを伸ばしているのだ。樹は生きている。枝を空に向かって高々と広げている。幹周りは二抱えはあろうか、その大木が枯れないで、新たな幹を上に伸ばしている。樹の倒れた方向からすると、南南西の強風が、このクルミを倒したのだ。
 ぼくの頭に、風の道が鮮やかな形になって浮かんだ。濃尾平野から木曽谷に吹き込んだ風は、木曽谷を駆け上り、松本平を吹き荒れ、たちまち安曇野に入る。北アルプスが西にそびえ、東に東山などの連山がそびえ、その間の北に伸びる「風の回廊」を、束になった風は樹をなぎ倒し吹きぬけて、姫川の谷に吹き下りて日本海に向かうのだ。そして冬は逆に北からの強風が吹く。畑を南北に作るのは、日照だけでなく、風も関係している。日照だけで考えていたぼくは、すとんと腹に落ちた。
 ぼくは今回は東西方向にしたけれど、これもやってみて、その結果を見てまた考えよう。