ほんとうのことを明らかにするほうを優先する


 養老孟司氏は解剖学者であるが、虫の研究家でもある。ロンドン自然史博物館で、日本の虫を調べていたときのことを書いている。
 博物館に古い日本の虫の標本があった。氏はそれとよく似た虫の標本をパリの博物館で以前に見ていた。そこで、この二匹は同じ種類なのか、そうではないのか調べたいと思った。虫の標本を前にして養老氏は悩んだ。それを見ていた博物館の若い研究者が、どうしたのかと尋ねた。養老氏はこう答えた。
「この虫がパリの博物館の標本と同じかどうか、確認をしたいのだけれど、確認するにはこの標本を解剖しなければならない。博物館の大切な標本だから‥‥」
 すると研究者は即座に言った。
「解剖しろ」
 その返答に養老氏は驚いた。そのときのことをこう語っている。
「彼は、ただ解剖していいと言うんじゃなく、『You should』、しなきゃいかんと言ったんだ。大事な標本がチャラになる。けれども調べれば事実が分かる。だから、しなきゃいかんと言うんです」
 この話は「耳で考える 脳は名曲を欲する」(角川書店)という本のなかで、作曲家の久石譲氏と対談して語られたことである。
 養老氏はびっくりし、イギリスのプラグマティズム、経験論的発想の文化の深さを感じ取る。そして日本人なら貴重な標本だから残そうと考えるだろうと思う。
 要するに、やってみなけりゃ分からんだろう、だから実際にやってみて実証せよ。標本は大切なものだが、事実を究明するほうが大事だ。ほんとうのことを明らかにするほうを優先する。そのために行動する、やってみよ。
 この後に、久石氏が語る。
「解剖して得られる知識のほうが、大事にとっておいて長くもたせることよりも価値があるという発想は、日本人にはないですね」
と言って、こんなエピソードを話す。
 パリのオペラ座にコンサートを聴きに行った。そこは歴史的にも文化的にも価値がある建物である。来ている人たちは酒を飲みながら騒いでいる。ふと見ると、タバコを吸っている人がいる。タバコ吸っていいのかと訊くと、かまわないと言い、吸殻を石畳に捨てている。
 久石氏の論。
「これを日本だとどうかと考えると、あれはしちゃいけない、これしちゃいけないという規制がものすごいでしょう。だけど、彼らは普通に使わなくては意味がないと思っている。」
 文化財や公共のものに対する考え方には、守ることと、活用することへの考えがある。みんなのものだから、みんなで守り、みんなで使っていこうという、それを実際に実行実践して、そこから大衆的な認証を得た秩序や約束事を作り出すというところに、日本と欧米の違いがあるのかなあと思う。信濃美術館のことを思い出す。水筒の水を一口飲んだだけで、「禁止」と言われた。
 安曇野の環境や景観にしても、大衆が望み、受け入れ、みんなが喜び、憩えるものにしていくという、市民の文化としての実践が全く生まれていない。