パソコンが壊れた?

人の住んでいない家があちこちにある。片一方に家の無い人が居る。


 4日前の朝、パソコンを立ち上げると、いつも最初に出てくる画面が出てこず、黒地に白く英語と数字の羅列が不気味に現れ、どうにもこうにも動かない。
 市民運動をしている仲間に電話をかけて詳しい人に聞いてもらった。すると、それは寿命が来たのです、ということだった。息子がプレゼントしてくれたのはまだ5、6年前のことだ、そんなに簡単に終わりになるものかと言うと、そういうものです、消耗品ですとあっさりした答えだった。またまた出費かとがっくりきた。
 しかたがない、それならと、パソコンを買った電器店に行って、技術担当の人に聞いた。店員は、やはり寿命が来たのですよ、新しいノートパソコンの格安のがありますから、買い換えたらどうですか、来週の月曜日、故障している本体を持ってきてください、調べてみましょう、たぶんダメだと思いますから、そのときは、こちらの展示品のこれが特別価格でお得ですよ、予約しておかれたらどうですか、と流暢に話されて、ぼくの片足はそのエスカレーターに乗りかけになった。大枚ウン万円、困ったもんだ、と半分諦め、半分未練を残し、そうだ、ケイ君か息子に相談してみようと、エスカレーターに乗せ掛けた足をはずして、帰ってきた。
 働いているケイ君は土曜日休みなので、奥さんと子どもたち一緒に来てくれた。彼はパソコンの前に座って、ちょいちょい何かをした。あら、あら、あれまあ、ウインドウズの映像が現れたではないか。どうして動いたの? 聞けば、あの不気味な画面にあった、F2の文字でやってみたのだという。欣喜雀躍、カンパイ!
 ケイ君が帰った後、自分でパソコンを立ち上げてみた。すると、メールの画面だけが開かない。ああ、ケイ君が直してくれているときに、ここまでやっておけばよかった、と後悔するはめになった。その夜、東京の息子から電話があり、事情を話すと遠隔操作でやってみようという。ぼくは風呂に入って眠くなったから、後は息子に任せて寝た。夜中の2時、目が覚め、気になってパソコンを見に行くと、電気は消えている。どうやら遠隔操作は終わっているようだ。立ち上げてみると、メールのところも現れ、ああ、無事に直ったと、安堵と感謝の真夜中になった。
 ところで、この数日、いろいろ思った。複雑怪奇な科学文明のなかで生きている人間はこうして縛られているんだなあ、こういうややこしい世界はくたびれるなあ、インターネットをやめるのもいいかもなあ、と庭の畑をやりながら思った。草とりをしている時は無心になる。ゴーヤの苗を植え、ジャガイモについた虫を取り、ナスやトマト、まくわ瓜の芽欠きをしているときが、のんびりして、時間にしばられず、心安らかなもんだ。しかしインターネットはやめるわけにはいかず、まあ、ぼちぼちやろう。
 耕作放棄地を使って、ここ数年子ども会でサツマイモを植えてきたところを、使ってくれないかと声がかかった。市民のプロジェクト運動体からだ。畑は自転車で3分ほどのところ、一反歩を三人で分割して使うことになった。プロジェクトのリーダーは、これからトウモロコシか大豆がオススメですよ、すぐに植えられるように耕運機で耕しておきますと、至れり尽くせりのお世話に感謝感激、じゃあ、明日大豆をまこうか。大豆を作って、それで味噌を作ろう。