丸山真男の信濃教育会での講演

 明治19年にできた信濃教育会が、雑誌「信濃教育」を出し続けている。驚異的なことである。会は今、公益社団法人になっている。
 一地方の教育団体が、渾沌たる戦後の社会状況の中、新しい教育を模索し、民主主義を学ぶために、政治学者、丸山眞男を招いて講演会を開いた。
 時代は米ソの対立が激化し、国内では日米安保をめぐる闘いがはじまっていたころである。戦後のあの時代、ぼくは学生であった。政府は次々と法律を変え、法律をつくり、激しい国民の反対意見を押しつぶして国の形を変えていった。雑誌「信濃教育」には日本の歴史が現れている。
 教育会館の一室で、ぼくは一年分の雑誌を合本にした「信濃教育」を棚からだして、机に座ってページを繰っていった。誰もいない部屋、蒸し暑くなったから窓を開けた。外では何か土木工事が行われていた。
1957年、丸山眞男の講演「思想と政治」は、ほぼ完全に収録されていた。

 「およそ近代国家のなかで、日本くらい、明治以降あらゆる外来の思想が紹介され、めまぐるしく流行した国はなかったといっても過言ではないでしょう。しかしまた同時に、われわれの国ほど、思想というものが、ほんとうに国民のなかに根づいて国民を内側から突き動かす力を持たなかった国も珍しいと言わなければなりません。
 (日本は)思想が実践的な有効性をもたない、あるいは実践的に有効かどうかという見地から、思想というものが吟味されなかったという意味では、また非常に思想的に不毛な国であります。
 一方では、あらゆる思想が咲き乱れ、他方ではそれらが一つも日本の社会的規模において実践的に有効な思想にならない。
 明治維新の直後において、近代的なインテリゲンチャが発生し、それを基盤にした非常に多様な思想の展開、つまり一種の百家争鳴状態が見られたのに、どうして思想的不毛な国になったのかと言う問題を考えてみなければなりません。」
 「過程をたどると、歴史的画期をなしたのは教育勅語でありました。自由民権運動を圧殺したあと、中央権力の機構化が行われ、欽定憲法によって法的に確認されたのです。‥国体という一つの強力なイデオロギーの溝が構築され、あらゆる思想はいやおうなくその溝のなかに流れ込むようになったのです。
 ‥‥日本の保守主義は、積極的にある価値を選択するという意味の保守主義は非常に少ない。ともかく、変なまねはするな、という消極的な黙従が、日本の保守主義の伝統になったのです。
 ‥‥カール・レヴィットというドイツの哲学者が、昭和12、3年ごろ、日本の文化なり思想のあり方というものを言っています。
 つまり、『日本というところでは、2階にはプラトンからハイデッガーまで、あらゆる西洋の思想がずらりとひもに通されて並んでいる。下ではきわめて日本的な思考をしている。外国人から見ると、これで1階と2階をつなぐはしごはどこにあるのか、不思議でならない』と言っています。それがつまり、一方でアクセサリー的思想のはんらんがあり、他方でオーソドックスな思想のワクの画一性という、二つの逆説的な事態があるのです。」

 約二時間は語られたのだろう。長い講演記録の中身は、今読んでも現代の日本の状況だと思う。今もまだその流れの中にあると思える。その前年57年には、丸山真男は「政治的判断」をテーマに講演を行っている。二年連続で、信濃教育会は時の人、丸山真男を講師にしたのだ。

 「非民主的な社会よりも、民主的な社会のほうが、政治的思考法が必要であります。つまり政治的な選択と判断を要する人の層が増え、そのチャンスが増えるからです。昔は指導者にとって必要だったこの思考の訓練が、ますます広い人民大衆に必要になってくるし、われわれすべてに要求されるからです。
 現代社会がたとえば民主的な体制であっても、現代社会はわれわれすべての生活が、すみからすみまで政治によって占領されている世界です。
 政治について、こういう思考法をもっていることが、理想であるとか、りっぱであるとかいうことではなく、政治的な場で思考する場合に、こういう思考法が著しく不足しておれば、政治的に無責任な結果になるのです。
 今の状況においては、われわれの最も非政治的な行動までが、全体の政治状況に影響を及ぼす。つまり、非政治的な行動が、政治的な状況にまで影響を及ぼす、というのが現代の宿命なんです。
 とすれば、政治的な認識方法というものが、決して職業的な政治家だけの問題であるとは考えられないということが、お分かりになるのではないでしょうか。」

 国の状況においても、また地方政治においても、安曇野でも、ぼくはずっと感じ続けてきた、政治というもの、民主主義というものの姿。
市民の生活、生きて行動していることも、政治の影響を受けている。あるいは支配を受けている。そのことが自覚されず、無関心のままでいることは、無責任の構造をつくってしまうことだ。
 「日本人には、自分こそ戦争を起こしたという認識がどこにもない」、「戦争責任者がどこにもいない国」、という認識を丸山は示した。
 完成した民主主義体制はない。たえず民主化しつづけること、国民、市民がそれを続けること、それしかない。そのプロセスが民主主義なのだ。だから、永久革命としての民主主義を、一人一人の人間の独立においてなし続けなければならない。福沢諭吉の言葉、
 「一身独立して 一国独立す」
 民主主義には終わりはない。