入学式



地元の堀金小学校と堀金中学校の入学式に初めて客として出席した。
教職にあった時代は式を主催する側にいたが、今は第三者の位置での参加だった。安曇野市に合併するまでは、両校は一村の一小学校であり、一中学校であった。他の地区に負けまいと、村人の教育にかけてきた思いは、新しい壮大な木造校舎のいたるところに感じられ、何よりもこの日の来賓として招かれた村人たちの数がそれを示していた。来賓の数は60人ほどであろうか。PTA関係者、民生委員、郵便局長、駐在所員、市議、老人クラブ代表、学校医、JA所長など、名簿では80人近い。「オラが村」の入学式だから、これだけたくさんの人がやってくるのだ。ぼくは子ども会育成会の地区の代表だということで招かれたが、自分のここにいるのが、なんだか不思議な感じがした。この地区に移住してきて七年目に入った。それは全く必然ではなく、人生のそのときの、偶然の選択だった。住めばいつのまにか堀金は「オラが村」になった。
 都会の学校の式では、来賓の数を少なくして、子ども主体のものにしようとする試みが増えているが、ここはまだそれとは異なる風景で、村の学校はもともとこういうものであったのだろう、村人たちでつくる入学式でもあるのだ。
 午前に小学校、午後に中学校の入学式が行なわれた。


 式とは儀式であり式典である。1886年明治19年)学校令が発布されて、近代日本の教育の形成に国家が旗を振った。富国強兵政策とともに、学校の儀式の型がつくられていった。国家主義の時代は国家の目的に合うように教育は営まれ、儀式もそういう形になり、敗戦後は民主主義にもとづいて国民のための教育をつくろうと、儀式も若干変化したが、式というものに存在する規定の形式はあまり変わらなかった。先進的な学校では、創造的な式がつくられたところはあり、ぼくもいろいろ試みたことがある。
 式典に対するものに祭典がある。祭は文化祭、体育祭など、これは子どもたちが直接参加し、自分たちで主体的につくるものとして学校によってさまざまなものが生まれた。
 世界的に祭典の最たるものはオリンピックか。式典の最たるものは、ノーベル賞受賞式か。

 
 入学式は静寂のなか厳粛に進んだ。国歌斉唱、校長式辞、教育委員会挨拶、来賓祝辞、保護者代表あいさつ、児童生徒の歓迎の言葉などと続いた。
 演壇に上る人は、まず教職員の側に一礼し、次に来賓側に一礼、そして演壇に向かって一礼、登壇して正面を向くと、生徒たちに一礼、合計四回、降壇して同じように四回の礼を行なった。
 最後に校歌の全員斉唱となった。午後の中学校の式では生徒のブラスバンド演奏が、歌の伴奏をした。

 
 堀金中学校の校歌は、臼井吉見作詞、芥川也寸志作曲になるもので、これは初めて聴くものだった。来賓のなかからも歌声が聞えた。ぼくは式が終わって控室にもどると早速若い女性教員に頼んで歌詞と楽譜のコピーをいただいた。
 小学校の校歌も、中学校の校歌も、歌い継がれて、この地のなかに生きている。


   一、 新たなる時代の夜明け
      おのずから湧き出ずるもの
      八重潮のあふるるままに
      古けくもいよよ若やぐ
      民族の力ゆたけし
      われらの中学 堀金
   二、 げんげ田に白壁映えて
      槍・穂高・常念ヶ岳
      国ばしら とわにそば立ち
      烏川流れさやけし
      うるわしき安曇国原
      われらの中学 堀金
   三、 目路高く遠くのぞみて
      たしかなる一歩を据えよ
      ともどもに睦み信じて
      ゆたかなる心をたもて
      ちかいたる三とせの学び
      われらの中学 堀金
      堀金 われらが母校