住民説明会があった<産業廃棄物処理施設の問題>


      三郷の農場で(昨年の写真)


「自動車免許は、法令による審査に通れば交付されます。その後、法規違反をすれば免許は取り消されます。この問題もそれと同じです。」
県の課長のその答弁を聞いた約250名の住民席からどよめきが起こった。
何を言う、それとこれとは全くちがうぞ。
安曇野三郷地区は、安曇平のなかでも標高の高い位置にあり、北アルプスに連なる里山を水源にして何本かの川が地区の果樹地帯を貫き、犀川に流れ下る。
伏流水は地下をもぐって、万水川流域で地表に吹き出る。
産業廃棄物の処理場は、長い年月精を出して育てられてきた果樹園のリンゴ畑のなかに、周りの景観を壊す全く不調和な姿を露出していた。


それは住民の同意なしに始まった。
騒音、粉塵、臭気の被害が施設近辺で出始めた。
住民の反対運動が起こったのは7年前、今、裁判闘争になっている。
長野県による住民説明会は、7月14日に三郷地区、8月19日に堀金地区で開かれた。
ぼくは8月の説明会に参加した。
この日、前回の説明会で宿題になっていた問題に対する県の答弁が行なわれた。
その答弁中にちらちら現れてきたのは、産廃施設への県の現地調査にもとづく指導にそって業者が補正を行なえば、法令違反がないかぎり認可する腹であるという担当者の思わくであった。


これまでの稼動においてもすでに被害が起きている。
さらに次の認可が通れば大規模な操業になり、その被害は半径5キロメートル、安曇野の半分近くに及ぶことになるだろう。
堆肥化施設の脱臭で使う薬品の外部への流出影響、廃プラスチック処理にともなう化学物質の環境汚染、汚泥処理の結果としての河川と地下水汚染、静かな農村地帯を往来する大型トラックによる弊害、地元安曇野産の農産物のブランド価値低下、安曇野の景観への影響など、
住民たちは憂慮する。
だが、県の担当者は、認可後に問題が起きれば指導して補正させる、と言う。
認可後に問題が起こるようなら、すでに遅いではないか、企業の体質はこれまでそのことを露呈させているではないか、住民たちは怒る。
その怒りが役人にはなかなか伝わらない。
従来型の典型的な行政マンの姿を見る思いだった。
車の免許と同じことという発想はその体質から出てきた。


県庁の担当者は10人ほど、住民たちの前に並んで座っていた。
住民の代表たちは、自ら調査し研究してきた問題点を、スクリーンに映し出して説明していく。
映像によるデータの説明と写真による証拠は、県の主張を論破していった。
住民側の圧倒的な論証の迫力であった。


次第に県の担当者の表情は変わっていった。
初めの段階、とうとうと述べる課長の主張は余裕を感じさせた。
しかし、「法にのっとっている限り認可するのが行政のあり方。我々は平等に対処する。」という主張から現れてくるのは、
行政側の主張の矛盾だった。
住民と、環境破壊の危険をはらんだ企業とを対等・平等な存在としながら、被害を受ける現場を調査し、被害者から学ぶことを怠っている行政。
日本の公害の歴史から、行政は何を学んできたのか、死屍累々たるその歴史を未来にどう生かそうとしているのか、疑問が浮かぶ。


この説明会で、ぼくは感嘆した。
それは地元住民側の学習・研究・調査・観察の積み上げから放出する論理だった。
日本の公害は、悲惨な歴史のなかから未来に向けて、多くの遺産を残した。
被害者の運動のなかで人は育ち、思想は生まれた。


「わざわざ県庁からここまでやってきた自分たちなんだ」を何度か強調する、
「この後は、みなさんとまた話し合うという約束はできない」と組織の一員であることを強調する。
2時間半に及ぶ説明会、
彼らの表情は次第に固くなっていった。
彼らの耳は住民の声を聞き流し、なかには拒否しているように見える人もいた。
抜き打ち認可の危険性を感じさせるものがあった。


行政のみなさん、あなたがたは荒畑寒村の『谷中村滅亡史』を読みましたか、
宇井純の『公害言論』を読みましたか、
とぼくは問いたかった。