魂の伴走者



「悔やんでも悔やんでも、かえらぬ」という言葉がときどき記憶のなかから浮き上がってくることがある。森鴎外の小説「高瀬舟」のなかの言葉だ。
 3.11後、悔やんで悔やんでもかえらぬあの日のことに苦しむ人の映像をいくつも観てきた。
 福島原発近くの町の消防団員が、あの日、津波に襲われ累々と広がる瓦礫の町に救助に入っていた。惨劇の荒野のどこからか、いくつかの助けを呼ぶ声を聞いた。夜が迫っていた。助っ人を呼んで明日救助に来ようと、いったん引き上げた。だが、翌日原発事故が起きた。津波被災地への救助活動は中止になり、消防団員は原発事故の避難活動に従事する。救助に行けば助かったであろう人たちは、見捨てられた。
 彼は、その時の判断を今も思い返しては悔やむ。なぜ、なんとしてでも救助を求めていたあの声に応えなかったのかと。彼は今も泣く。そして被災地の瓦礫の中に花を供え祈る。
 悔やんでも悔やんでもかえらぬくりごとである。救助に向かえないことではなかった。自分の判断がそうした。なぜ自分はそうしたのか。
 たくさんの人たちが、あのときの自分自身について悔やみ、自分を責め、苦しんでいる。
 

 悔やみ悩み、苦しむ人の心、「心的外傷後ストレス障害PTSD)」であろうか、戦争後にも、災害後にも、自分のしたことで、自分の心が心を撃ち続け、心が破壊する。
 今必要なのは、魂の伴走者だろう。
 心を吐き出し、
 心を聴き、
 心を受け止め、
 共に祈る。
 心が心を癒やす。


 「悔やんでも悔やんでも、かえらぬ」、「高瀬舟」のその部分は、こういう文章だった。


 「罪人をのせて、入相(いりあい)の鐘(晩鐘のこと)のなるころに、こぎだされた高瀬舟は黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川を横ぎって下るのであった。この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜どおし身の上を語り合う。いつもいつも悔やんでもかえらぬくりごとである。
 護送の役をする同心(警察の役をした下級役人)は、そばでそれを聞いて罪人を出した親戚けんぞくの悲惨な境遇を細かに知ることができた。」


 島流しになる一人の男を乗せて、高瀬舟は川を下っている。罪人を運ぶ同心は、白洲や役所の机の上で調書を読む役人など夢にも知らぬできごとを、この護送の舟の中で聞く。
 弟殺しの罪を背負って島流しになる男だった。貧しいなか、いたわりあって暮らしてきた兄弟、弟は病気になり、かみそりで自分の喉を切って自害を図った。そこへ帰ってきた兄はなんとか助けようとしたが、医者を呼んでも助からないから苦しみを和らげるために、喉の刺さったかみそりを引き抜いてほしいと弟は兄に頼んだ。兄は弟の懇願を聞く。結果弟は死んだ。兄は裁判で島流しになり、島での暮らしに二百文の金をお上からもらった。生まれてはじめて手にする金だった。
 一晩、同心は罪人から話を聴き、話を交わし、はたして罪があることなのか、罪とは何か、際限なく上の暮らしを見て生きる自分と引き比べながら、生き方について幸せについて考える。
 同心は、罪人に一晩寄り添って、心を聴き、心を受け止め、罪人は心を吐き出し、心を癒やすのであった。
 同心は、この舟ののなかで、魂の伴走者となっていた。


 互いに魂の伴奏者になりあっていく。それが絆なんだと思う。