緑樹の木陰を 街路にも病院にも

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 ぼくは何度か発信してきたけれど、無名の一市民の意見なぞ風のごとく、過ぎ去っていく。

 

 この炎天下、野の道を歩く人は一人もいない。朝、四時ごろ、日の出前、この時ばかりは、すがすがしい。野を見渡せば、あっちに一人、こっちに二人、歩く人を見かける。

 テレビが呼びかけている。「熱中症に気を付けて、外出を控え、水分を取り、エアコンをつけ‥‥」、エアコンを設置していない人はいないかのごとく。

 

 ぼくが何度か発信してきたのは、「木陰の道」や「したたる木陰のある公園」。

 歩道に、木陰のできる並木をつくる、緑道をつくる、そして公園にこんもり茂った広葉樹の森をつくるということ。

 街の中、木陰の道を歩いてお店に行く、図書館に行く、そういう街づくりができないか。街の中の公園には池があり、高くそびえる木々の下、子どもたちが遊んでいる。春や秋は、木漏れ日の下を歩き、晩秋は落ち葉を踏んで歩く。そういう施策ができないか。

 

 安曇野市には日本赤十字病院がある。以前の古い建物を壊して、新しく建て替える時、ぼくは一通の意見書を病院長に送った。

 

 この病院の庭には、「ヒポクラテスの樹」があります。そこに書かれた説明によれば、この「ヒポクラテスの樹」は、ギリシャ本土の東エーゲ海に浮かぶコス島にある「ヒポクラテスの木の原木」の種子から、発芽育樹したもので、日本赤十字社創立百周年(昭和52年)を祝って、ギリシャ赤十字社から寄贈されたものだそうです。


 <原木の由来は、世界医学の祖ヒポクラテス(紀元前470〜360年)の故郷であるコスの町の中心にある広場に、今も大きな「プラタナスの樹」が一本あり、ヒポクラテスは晩年、その生い茂った「プラタナスの樹」の木陰で弟子たちに医を説いたと言われ、いつの頃からか「ヒポクラテスの樹」と呼ばれていた。樹齢は推定三千年以上の老木で、樹幹の周囲が十メートルを超え、中は空洞化した巨木。
 この木はヒポクラテスを象徴する木として、人類にとって最も神聖な木であると言われている。
 安曇野赤十字院には、昭和55年5月1日の日本赤十字社創立記念日に植樹された。>

 

 入院中、この木をよく眺め、慰められました。新しい病院には、この木を必ず移植してほしいです。

 

 手術が終わって退院すると、ぼくは病院にその手紙を送ったのだった。

 新しい病院の建て替えが行われ、古い建物は壊された。
 ぼくの投書は、生かされなかった。無名の一市民の声には返事もなく、新しい病院のどこにも、「ヒポクラテスの樹」はなかった。

 

 最近、テレビで一つのニュースを見た。新しく建設する集合住宅の広い中庭に、高木の緑地をつくり、池や噴水を備え、子どもたちが木陰や水場で遊び、高齢者はベンチに憩う、そういう住環境をつくったというニュースだった。

 今、赤十字病院の前の広大な駐車場は炎天下の照り返し、赤道直下の砂漠のようだ。入院患者が散策できる緑の庭はない。発想のなかに、「緑」の大切さが欠け落ちている。医学の原点がかすんでいる。

 

 病院だけではない。大型店にも、役所にも、滴る緑は存在しない。