小説「旅立ちの予感」


小中学校時代の友、英ちゃんから同人誌が送られてきた。
封を開けてみると、同人誌は233ページの大冊だ。英ちゃんは編集委員になっている。
早速中をのぞいてみると、英ちゃんの小説は50ページに渡っている。原稿用紙200枚だ。
この同人誌は、大阪文学学校で学んだ人たちで作っている。英ちゃんは、大阪文学学校で学んで、65歳から小説を書き出した。
英ちゃんの作品のタイトルは「旅立ちの予感」、読み始めたら止まらなくなった。
「拝啓、友子さま、しばらく会っていませんが元気ですか。」
小説は、わが娘への遺言という形式になっている。
英ちゃんは、五歳のときに生母を亡くし、継母になった人は英ちゃんを虐待し二年で亡くなってしまった。続いて三人目の母が来るが、父は結核になり、英ちゃんが小学校六年のときに亡くなってしまった。
中学を卒業した英ちゃんは、パン屋に住み込み、働いた金をすべて三人目の母に送らねばならなかった。
小説は、過去と現在とを行き来しながら、英ちゃんの人生をリアルに語っていく。
山深い村から家出同然で出てきて喫茶店のウエイトレスになって働いていた女の子と結婚したこと、
貧苦の中で子どもも生まれ将来を夢見る日々が到来しかけたときに、妻は男を作り、小学生だった二人の子どもを残して出て行ったこと、
英ちゃんは、男手一つで身を削って子どもを育てた。誰の支援も受けず、頼ることのできる人は、叔父夫婦だけだった。
英ちゃんはあるとき、自分自身まったく知らなかった自分の出生の秘密を知る。

小説を読みながら、今まで知ることのなかった膨大な悲惨に圧倒される想いだった。
中学校を卒業してから、手紙のやり取りは何回かあった。直接会ったこともある。英ちゃんはいつも淡々としていて、理性的だった。彼は大手のレストランのシェフになった。そのレストランのテーブルに座って、二人でひと時を過したことがあったが、英ちゃんは自分の人生の苦悩を語ったことは一度もなかった。
住む家や食べるものにも苦労しながら、英ちゃんは友に救いを求めることがなかった。同窓生はみんな遠く離れて住んでいたし、会うこともめったになかった。同窓生の関係が希薄だったこともある。
最近では、あの東北地震の日の夜の大阪で、大災害を全く知らないまま同窓生3人で食事をし酒を飲んだ。その会話にも彼の過去は出てこなかった。

「旅立ちの予感」を読み終わって、思った。それにしても、支援を求める人が誰もいないで呻吟していた彼を、同窓生のだれも知らないでいたのかと。なんとみずくさい友情かと。
遺言のなかに、彼は今病をもち、この先が見えてきたことから、こんなことを考えていた。


「私は若いころ山登りが好きでした。とりわけ身近にあり、大阪の屋根とうたわれる金剛山には三十二回登りました。
そうそう、あなたが小学一年生のときの冬、ところどころアイスバーンになった山道を私に手をひかれて登ったことを憶えていませんか。私はアイゼンをつけ、あなたはゴム長に荒縄を巻いた姿で、弱音ひとつ吐かずに自力で登りきりました。あなたは終始笑顔をふりまき、同行した七、八人の若い女性社員の人気の的でした。
その山は、あなたの住む大和高田から左前方に見えるはずです。奈良県側の頂上近くに、うっそうとした水源涵養林がありますが、その茂みのなかに、私の遺骨のかけらを砕いて散骨してほしいのです。法要もいりません。あなたや、あなたの家族が金剛山を眺望するたびに私を偲んでくれればそれでいいのです。気ままな私の願いをどうか聞き届けてください。」


彼はこの文章の前段で、離婚に至る苦悩を書く筆が重く鈍ってしまって意欲が萎えてしまっていたのだが、死後について書いたことで、気持ちが解放され、再びその時の悲しみを書き始めている。金剛山のブナ林のなかに、自分の骨の断片を埋めてほしい、その遺言を書ききることによって、英ちゃんはまた力を得ていた。
小説の最後は、次の言葉だった。
「友子、私の子どもに生まれてきてくれてありがとう。父は幸せ者でした。もう、なにも思い残すことはありません。」


ぼくは、返事を送った。
友として、何もできなかったことに胸が痛むよ。
散骨は、ぼくも同じ、願いだよ。
このすごい小説をよくぞよくぞ書ききりました。
書くことは生きることだね。