歌は命の鼓動

michimasa19372011-04-20



南相馬から避難してきた人たち二十数名を迎えたおやじさんは号泣した。
「私は南相馬出身です。ふるさとのみなさん、よく来てくれました。」
そこから後は言葉にならなかった。
おやじさんは、飯田市で料理店を営んでいる人だった。
飯田市福島県南相馬から被災者が避難してきたのは、原発放射能南相馬を汚染して、すぐのことだった。
そのニュースを知ってぼくは、安曇野市安曇野社会福祉協議会へ、この地でも被災者の集団受け入れをと何度か訴えたのだが、その提案ぐらいでは被災者集団受け入れにはいたらなかった。 
飯田市の受け入れの早さは、あのおやじさんのような、なんとかしてふるさとの人たちを救いたいという一心があったことと、打てば響くように応える行政があったからだと思う。
事が進むときには、事を進める強い意志がいる。
おやじさんは、それから料理を作り、避難者を連日かいがいしくお世話した。
一箇月あまりたち、避難者たちは一度故郷に帰りたいという声があがっていて、それに対しては長野県が対応している。


ふるさとを離れていく人たち、残る人たち。
相馬の集落の集まりの中で、男の歌う哀切をきわめる絶唱を聴いた。
歌は新相馬節。

   遥かかなたは  相馬の空かよ
   相馬恋しや  なつかしや


アメイジング・ボイスとも言うべき魂を揺さぶる歌声だった。
歌い終わって男は声を挙げて泣いた。


安曇野の桜が咲いている。
この季節になると、日中技能者交流センター研修所で中国の勤労青年の研修生たちとよく歌った、森山直太朗の「さくら」を思い出す。
旅立ちのとき、別れを惜しみ再会を願うこの歌を青年たちは愛唱した。今はもう青年たちと学び暮らす機会は無くなったが。


   僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を
   さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
   どんなに苦しい時も 君は笑っているから
   くじけそうになりかけても 頑張れる気がしたよ
   霞みゆく景色の中に あの日の唄が聞える


「どんなに苦しい時も 君は笑っているから 」
大震災の被災地で家族や家を失ったにもかかわらず、人と語るときに笑顔の浮かぶ人がいる。
この笑いは何だろう。悲しみやつらさは計り知れないものがあるはずだが、
どこか自分を襲った不幸を、静かにみつめるような感じがある。
辛さと悲しみ、絶望に翻弄されるのではなく、
自分に対しても、自分と同じ不幸に生きるみんなに対しても、少し客観視している感じがある。
あるいは、あまりに悲しみが深すぎて、それが笑いとなって出てくる、
命の、生きようとする命の、鼓動。
そういう笑い。
悲しくて笑い、
辛すぎて笑う、
命の鼓動。


そこに歌がよみがえってほしい。
魂の歌声がよみがえってほしい。
歌は、命を鼓舞する、
そういう歌声が、生まれるとき。