臼井吉見『安曇野』に見る、明治時代の安曇野



 臼井吉見の大河小説『安曇野』には、明治時代の安曇野の風物、風景、人間模様が詳細に描かれている。
 冬の安曇野犀川万水川(よろずいがわ)の近くにあった相馬家の相馬愛蔵のもとに、良(後の黒光)が嫁いできたころのことだ。



「水車小屋のわきのハンノキ林を終日さわがしていた風のほかに、もの音といえば、ツグミ撃ちの猟銃が朝から一度だけ。にわかに暗くなってきた軒先に、白いものがちらつきだした。
 ハンノキ林には湧き水がある。お清は水汲みに何回往復したかわからない。てんびんぼうを肩にしたまま、二つの桶をかわるがわるつっこんで水をくみ、だらだら坂をのぼって、台所の二石入りの水がめまで運んでくる。
『あねさまあ、とうとう雪になりましたに。おやまあ、どうして、こんねにきれえにできるもんずら?』
 良の朝からはじめたクリスマスツリーの飾りつけができあがりかけていた。
 村にはモミが見当たらないので、アララギの小枝で代用したのは、去年と変わりはない。アララギのことをこの辺りではミネゾという耳なれない名で呼んでいる。真綿でサンタクロースをはじめ、靴下をつくったり、星や鐘を切り抜いたボール紙に、金紙、銀紙をはりつけたり、ままごとめいたことで一日がくれてしまった。」


 「板戸をくると、寒さと光がまじりあって、一度に流れ込んできた。相馬家は白金耕地の東端なので、うしろは、はるか東の空を区切る山々のつながりまで、家は一つもない。見えるかぎりが深々と雪に埋もれて、近くの万水川も、山ぎわの犀川も、どこをどう流れているものやら、およその見当もつかない。広大な白一色に、朝日の光がはなやかにさして、まばゆいばかりであった。
 水車小屋のハンノキ林には、ツグミが二、三羽来ているらしく、枝うつりするたびに、粉のように雪の散るのが見える。平作やお清は、雪かきをはじめたと見え、表のほうで、彼らのはずんだ声がする。
 北隣の土蔵の裏では、ワラ細工小屋の仲間らしい若いものたちが、せっせと雪をのけて、長方形に大きく黒い地面をのぞかせようとしている。カラスを利用して、一挙にスズメの一群を捕獲する独特の引き綱をしかけているのだった。良が穂高へきて、初めて知ったスズメの珍しい捕獲法だった。一面に雪があって、スズメどもが餌をさがすのに難渋しているのをねらうのである。
 中庭では、十数羽の鶏がしきりにのどを鳴らし、うまやからは、長く引っ張るいななきが聞える。明るい日ざしをあびて、彼らがのうのうした気分になっていることがわかる。裏のアララギの青垣をくぐって、ミソサザイがせわしげに飛び移っている。
 寝不足のため、良は目のまわりに、かすかな痛みがあったが、どこを眺めても気持ちがすがすがしく、心のはずみを覚えた。真っ赤におこった炬燵用の炭火を十能に山と盛って、良は玄関口から左に長い廊下を行った。つきあたりに、古代風のかやぶきの大きな一棟がある。養蚕時には、蚕室に用いられるが、そのほかは、もっぱら客間に使われていた。尚江(木下尚江)は障子をいっぱいに開け放ち、端然と座して雪景色に目をやっていた。」


 そして春はやってくる。

「見渡す限り、れんげの花で埋もれ、そこかしこに土蔵の白壁がちらほらする。大地主もなく、貧農もない、多くは勤勉な自作農で、家のつくりにも、それらしい落ち着きがある。どの家でも蚕を飼い、収入も割がよかっただけに、たいていは母屋のほかに蚕室の棟が並んでいる。川という川に水があふれ、葦が茂り、よしきりが鳴きたてる。昼はねぶたげな山鳩が聞え、暮れ方になると、水鶏(くいな)がたたく。れんげ田はまもなくすかれて、代かきが始まり、たちまち水田に化してしまう。
追っかけて田植えが始まる。どこの耕地にも、頓知のいいのがいて、植えている最中にも、おどけを言うと見え、どっと笑いがはじける。女衆のなかには、たまりかねて腰をのばし、のけぞって笑いこける者もある。夜は、蛍が家の中までゆらいでいる。更けてくると、蛙の声で村中がいっぱいになる。」