埋められる警告



11日に放送されたNHKのETV特集「シリーズ大震災発掘 第一回 “埋もれた警告”」を録画で観た。
長く重いドキュメンタリー番組だった。
だが、隠れていた事実が明らかになっていく迫力に引き込まれ、目を離せなかった。
地震や巨大津波が起きる可能性を科学的に調査研究し、警告していた学者、専門家はいた。
大地を掘って平安時代貞観地震の大津波の研究をしていた学者は、当時の津波の高さを検証し今後に備えようとしたが、体制からの疎外によって研究は中断せざるを得なかった。
太平洋のこれまでの地震発生を研究し、発生していない空白地帯こそ、大きな危険をはらんでいるとする学説は、福島沖の地震を予告していたにもかかわらず、「頻度の多い地帯こそ危険」とする主張の前に、一仮説として取り上げられることがなかった。
25年も前、柏崎刈羽原発の周辺活断層を調べて、危険性を主張していた学者たちがいた。
しかし、原発建設の電力会社と国の力によって、彼らは、研究の前面から下ろされていく。
数々の研究者の警告が、後の大地震と大津波に活かされなかった。
地震と大津波を予告する研究は押さえ込まれ、無視され、除外されて生かされなかったのはなぜか?
番組は次の日曜日、二回目が放送される。


16日、市議会を傍聴した。
新本庁舎建設を推進する市長の意見陳述があるというので、議場に出かけたのだった。
報道機関がマイクやカメラを構える傍聴席に座って、議場を見下ろす。
市長が登壇し、「住民投票は行なわない」という自分の意見を、これまでの経緯をもとに発表した。
住民みんなの投票によって、建設を決めようという「住民投票の会」の署名を議会の審議に付するが、これまで市民の声を聴く場も持ち、情報も公開し説明責任も果たしてきたのであるから、市長としては住民投票は行なう必要がない、と述べた。
この市長提案を受けて、21日に住民投票条例請求者の意見陳述と議員たちによる討論が行なわれる。


市長はとうとうと演説した。
いつ、なにをした、いつ、なにをした、順を追ってのこれまでの手続き、経緯だった。
これだけの手続きを踏んできたのだから民主的であり、問題はない。
時間は10分ぐらいだったろうか。
あまりにあっけない。
住民投票を求める市民は、何を求めているか、そのことについてはどう考えるか、何も触れなかった。
確かに手続きとしての経緯はあった。
だが、その内実、中身はどうだったのか、
国の情勢、市の情勢も変化していく、変化によって市民の意識も変わる。市政を観る眼も変わる。
それらをふまえた上で、直接民主主義を求めるという市民の問いかけがある。その本質に答えていない。
安曇野市の未来ビジョンはどう画く?
負債を重ねても建てなければならない必然性がどこにある?
今ある庁舎をなぜ活用できないのか?
金をかけねばならない現実とは何なのか?
東日本大震災からの復興、日本の経済状況、世界的な金融危機、それらを考慮した政策はどうあるべきか。
市長はそのことについて真摯に自らの主張を市民に語る、
それはなかった。
そのことは、21日の審議の中であるのだろうか。


その夜、「大震災発掘?“埋もれた警告”」を観ていて、市議会の状況がちらちら浮かんで仕方なかった。