信じる人々


  


 時計は午前3時、目が覚めてトイレから帰るといつものように頭が回転し始めた。前日の出来事が浮かぶ。頭がだんだん冴えてくる。これは記憶しておかなければと思うことが頭に浮かんでくる。そう思ううちに、またうとうとと眠りに入り、朝起きたらその記憶が断片的であいまいになっている。なんだったかなと、思い出そうとやってみる。


 昨日は、安曇野市新本庁舎建設の基本設計説明会があった。これまでの市民運動の経過から、この会に参加しようと、ぼくは仕事を切り上げて行った。会場は堀金庁舎の3階、議場や議員控室の隣にある大会議室には、100人ほど市民が集まっていた。けれどなんとなく知らない人が多すぎるような感じもした。
 いまさら何を言っても、計画は変更されることはないから、この説明会は参加するのも初めむなしい気もした。これが最終結論だと市民に納得させ、反対意見にとどめを刺すことが目的だろうという思いもあった。それでも参加して、最後のほんのささやかな異議申し立てでもできれば、それも自分に誠実な生き方であろうかと、市長のすぐ前の、最前列の席に座った。目の前に市長、副市長、担当課長など行政関係者十数名、行政の一団は参加者に向かい合って対座している。


 市長という人物に直接会って話をしたのは去年の5月だった。「子どもたちを放射能から守ろう」という福島の親の会の呼びかけに応えて、安曇野での夏休み子どもキャンプを計画し、その実現に向けて支援を市長・行政に要請する会議をもってもらった。人は初対面の相手と接した時、そのときの印象が強烈であればそのことによって一つの評価をその人物に下してしまう。ぼくの市長に対する印象は寒かった。一市民のなんとかしなければという思いに対して、市長の物言いと態度は高飛車で、実現に向けて共に努力しようと言う言葉が聞かれない。ぼくは少しひるんだ。結局その計画はつぶれ、別の企画(南相馬の子どもキャンプ)が、社会福祉協議会事務局長の献身的な努力で実現したが、自分は非力であったという思いと挫折感が強く残った。
 そのときの印象は、自分の心のなかに一つの評価を生んだ。市長はこういう人物なのだという評価だった。そして逆に市長がそういう態度をとったのは、初対面の私に対して何らかの評価を行なった結果だろうと推察した。安曇野に移住してまだ五年、組織もバックも、地縁血縁もない、無名の高齢者、そんな者に何ができる、高飛車ですげない発言、態度はそういう評価から出てきたのではないかと思ったりもした。
 人は常に他者に対して評価を行なっている。この人はいい人だ、この人は親切な人だ、冷たい人だ、優しい人だ、思慮深い人だ、浅はかな人だ、愉快な人だ、能力のある人だ‥‥。そして自分もまたいろいろな評価を受け、時にはレッテルを貼られたりもしていることだろう。人との接し方のなかに相手に対する評価があると、それは相手を見る目、態度に出てくる。
 むかし村落社会には長老がいた。現代でも古くから続いてきた村には、村民に影響力を持つ有力者がいる。そういう人がいて村は結束もし、同時にその人に従属したり同調したりする力関係も生まれた。行政関係者は、そのような人間関係にさからわず、うまく利用もした。選挙の時はその関係が力を発揮する。ところがIターンでやってくる人たちは、この関係のらち外にいる。そして何年かたつと、集団のなかに位置づいていく。


 さて、その説明会。新庁舎の建設計画の説明は、市長のそつのない演説から始まった。続いて建設、財政の担当課長から話があった。説明はかなり詳しく行なわれた。しかし、あいまいさを残すところがあった。それは、予算の大部分が負債に頼るところだった。将来市が抱える借金を返していくとき、高額の税金を納めなければならない点についての具体性だった。高齢化社会の働き手の少なくなった時代に、九百数十億円の負債はどうなるのか。さらに国家的な危機が来て地方交付金がなくなれば、どうなるのか。このきわめて不確実な問題に対してどう備えていくのか。未知の自然災害に対して備えをしなければならないが、未知の人災に対しては借金を減らして食糧とエネルギーの自給体制を備えねばならない。
 市は、たぶん大丈夫でしょう、と言う。夕張市のように破綻することはない、と安心見通しを言う。
 話を聞いている人たちも、ほとんどの市民も、大丈夫だと信じている。この「信じる」ということはどういうことか。
「大丈夫です。安全です。原発二酸化炭素を出さず地球温暖化を防ぎます。安くてクリーンなエネルギーです。」
 電力会社も政府もこうして安全神話を長年語り続けてきた。人びとはそれを信じ込んだ。ではいったい何を信じたのか。見もしない原発をどうして信じることができるのか。信じた原発は見通しのたたない事故の長い長い道を歩くことになる。
 信じ込んだのは情報だった。情報は言葉である。言葉を信じた。言葉は作られた。作られた言葉は虚構、虚構を信じた。
 十五年戦争も、信じ込んだ戦争だった。「この戦争は正しい。聖戦である。日本は戦争に負けない神の国だ。」信じ込んだ結果、国は亡びた。
 なぜ信じるのか。真実、事実を確かめないで、どうして信じることができるのか。
 人は信じたい生き物なのだ。信じて安心したい、精神の安定を得たい。みんなで信じて元気でいたい。
 10メートルの津波にも耐えられる防潮堤が破壊された。信じて安心を得ていたものが崩れ去った。
 不確実性は、災害にも社会システムにも、人間のつくるものすべてに存在する。科学信仰も科学に限度があることを知らないことから生まれる。


 ぼくは簡単な質問をした。
「今使っているこの大会議室と、この向こうに隣り合う議員控室と議会の議場は、堀金村時代につくられました。このりっぱな建物は、合併した後安曇野市の本庁舎に使われることを予測してつくったと、関係者から聞いたことがあります。それだけ莫大な費用をかけています。それを壊して、新庁舎のなかにまたも議場関係をつくるのはやめてほしい。堀金庁舎のこの設備を残して使い続けてほしい。堀金住民には愛着のあるものです。」
 市長は、新庁舎の中に議会関係をつくるのは、連絡を密にしていくうえで必要だとし、堀金庁舎の内部はつぶすという原案を変えることはなかった。億という金を、市長はこともなげに言う。この金銭の感覚、そして楽天主義
 質問は三人だけ、ぼくと巌さんとひとりのお母さんだけ。
 たくさんの人たちは、黙々と聞いて黙々と帰っていった。不思議な人たちだとぼくは思った。