お隣さん


漬物大根干し


五年前はまだお隣の家の中でカラオケで歌っている声が聞えてきた。
それから二年後に、姿が見えず、洗濯物も干していない日の続いたことがあった。
閉まっている玄関から名前を呼べど、返事がない。裏手に回って呼んでも応えがない。
おかしい。何かあったか。
いったん引き上げ、夕刻にまた出かけた。近所のリョウ子さんもやって来て一緒に呼んだ。
かすかな声が聞えた。
裏手の窓のガラス越しに声をかけると、そろそろと動くミヨ子さんの姿が見え、窓際に現れた顔はすっかりやつれて、見る影もない。
「三日ほど、何も食べていないだ。」
聞けば、口の中にできものができて、痛くて何も食べられないのだという。原因は、健康にいいと人から勧められて、薬なのか食品なのかよく分からないものを服用したら口の中に異変が起きた。医者にも診てもらったけれど、まだ治らない。
「医者に、その原因になったものを見せましたか。」
と訊いてみた。
「言ってないだ。それを言うと、勧めてくれた人の名前も出さなけりゃいけなくなるで、言わなかっただ。」
「そりゃ、だめですよ。言わなきゃあ。」
結局、医者は原因も分からないままに治療して、治るのが長引いた。


それから、さらに足が弱ってきて、犬の散歩中に、何度かこけたこともあった。犬に引っ張られてバランスがくずれたためだ。
以来犬のマミちゃんの散歩は近所の人に頼んでやってもらうようになった。
ミヨ子さんは一人暮らし、子どもがいない。旦那が数年前になくなっている。膝が痛みを訴えるようになってから、散歩もしなくなった。車に乗ることは可能だったから、買物には車で出かけていた。
脚が痛い。でも歩かなけりゃもっと弱ってしまう。
そこで手押し車を買った。ときどきそれで散歩している。けれどそういう姿は自分自身好きではないから、散歩の回数が少ない。
80歳を越えて体が弱ってきたから、先が心細くなった。ミヨ子さんには姉さんがいる。姉さんも一人暮らしで諏訪に住んでいる。
一緒に老人ホームに入ろうと二人は相談を繰り返した。今年話がまとまり、計画は進んで契約も結んだ。


一昨日、ぼくが庭で作業をしていると、お隣で大きな叫び声が聞える。
何かあったな、と跳んでいくと、ミヨ子さんが半分に切ったコンパネを持って運ぼうとしている。
「重いから、姉さんを呼んでいたんだよ。姉は耳が遠くなって、私の声が聞こえないだよ。」
駆けつけたぼくを見てミヨ子さんは、苦笑いした。姉さんはときどきやってきて、数日一緒に暮らしている。この日も姉さんが来ていた。
「漬物を漬けようと思ってね。」
コンパネは野沢菜を切るためのまな板にしようとしていたのだ。代わってぼくがコンパネを外の水道の流しまで持っていった。
「ちょうどよかった。見てくれないかね。」
何々? 玄関のなかに入ると、電灯を見上げ、
「電気がウインクするんでね。見てくれんかね。」
調べてみると、蛍光灯は端が真っ黒になり、グロー球も黒くなっている。
「こりゃあ、もうだめですね。」
「そうかね。全然換えていないからね。じゃあ、電気屋を呼ぶか。」
「いや、新しいのを買ってきて換えれば大丈夫ですよ。私がやりましょう。」
ミヨ子さんは野沢菜の即席漬けを仕込んで、その後、姉妹して、これから入居する予定の老人ホームにお試しの宿泊に出かけた。


翌日夕方、車が帰ってきていた。
「ミヨ子さん、蛍光灯つけるよ。」
「ありがとさん。ホームは暖かかったよ。夜も朝も、部屋が暖かかったよ。」
「そうかい、よかっねえ。」
電気店で買ってきた蛍光灯とグロー球を付け換えたら、玄関はみごとに明るくなった。
野沢菜の漬物、食べるかい。」
いただいて帰った漬物、即席漬けだが味がよくて、こりゃあ、熱いご飯にいけるね。