大阪弁・故郷なまり



このごろ人との会話で大阪弁が自然に出る。
「ジュンヤ、どうや、古典やろか。いまやっとかんと、後でやっかいやぞ。」
「最近は毎日学校に来ているよ。レポート、全部やり終えて、アルバイトでかせがんと。古典はさっぱり分からないですよ。」
「しゃあないな。まあ、やろや。」
高校の通信制スクーリング。
建築業で働いて、ときどき学校に来るシマやんが、
「先生、大阪出身?」
と訊く。
「そや、大阪や。」
大阪弁は、かっこいい。」
「ええ? かっこいい?」
横からジュンヤも、かっこいいと言う。
これはまた意外。


授業の中では、大阪弁を極力出さないようにしてきた。
ぼくは大阪も大阪、特にガラの悪い河内出身、子どものころは、
相手に対して、「われ!」
ののしるときは、「おんどれ!」


大阪の友と話す時は、今でも何の縛りもなしに大阪弁丸出しになるのだが、
改まった場では、自然と「共通語」に近づけて話すのが身についている。
ぼくが大阪出身とは気づかなかった、という同僚もいた。
職員のなかに大阪出身の人がいて、互いに大阪出身と分かったとたん、
「どこでっか。」
「岸和田ですわ。」
「へえそう。私は藤井寺ですわ。」
ワッハッハッハ、大声で笑いあって、急速に親しくなった。


おぐらやまリンゴ農場のテルちゃんの子は小学生。
「NHKの朝ドラで、カーネーション、やってるでしょ。あれ見て、大阪弁、かっこいいな、と言ってるんです。」
小学生でも、そう思っているのか、これまた意外や意外。


その大阪、えらい騒ぎやった。いてまえ、いてまえ。
知事選と大阪市長選、結果が出た。
どないなるやろ。


昔大阪で会った国語の教育学者、国分一太郎も、無着成恭も、東北弁の訛りを大切にしていた。
それは意識して、自分の身体に染み付いた、故郷の土の言葉を愛している感じだった。
方言という言葉はもっと話されていい。
遠慮なく話したほうがいい。
寺山修司の短歌。


    ふるさとの訛りなくせし友といて
    モカ珈琲はかくまでにがし


ふるさとの訛りを失くしてしまった友。東京にいると東京弁になってくるのは仕方がないが、それが同じふるさとの友同士であれば、苦々しくも感じる。
気持ちの苦さ、モカ珈琲も苦い。
石川啄木は、


    ふるさとの訛り懐かし
    停車場の人ごみの中に
    そを聴きに行く


と詠った。啄木は岩手県渋民村の出身だった。


究極の方言詩は高木恭造



        吹雪


    子供等(ワラハド)エ
    早(グ)ぐど寝でまれ


    ほらアー!
    あれア白い狼(オウガメ)ア吼えで
    駆け(ハ)ケで歩(ア)りてらンだド
    まぎの隅(スマ)がら
    死ンだ爺(ジコ)ド ババ 睨めでるド


    子供等エ
    早(グ)ぐど寝でまれ


「子どもらよ、早く寝ろ。ほら、あの吹雪は白い狼が吠えて、駆け歩いているんだよ。
薪のすきまから、死んだ爺と婆がにらんでいるぞ。子どもら、早く寝なさい。」
高木恭造は青森の詩人だった。彼は津軽の方言で詩をつくった。