市議会の姿 


 安曇野市穂高、牧地区にある水難にあった子どもたち慰霊の碑。



安曇野市議会で、こんな条例が決められた。
「市役所の位置を建設予定地に変更する。」
かくて、まだ建ててもいない新しい本庁舎建物の「存在」位置を、はやばやと「建設予定地」なるところに変えてしまった。
その討議の要約が議会報告にある。
概略次のようだ。
まず条例制定に反対する意見。
「市役所の位置の変更は、なぜ今なのか。建設着工時か、完成時でいいではないか。なし崩し的に建設計画を進めているのは問題だ。」
「国は900兆円の借金のうえに、震災復興債が重なる。こういう財政危機のときに、合併特例債に頼っていいのか。」
「新庁舎は、設計、予算、財政の裏づけなどが確保されて、その位置が決まる。五年以内に施行するという附則をつけてまであわててやることか。」


次は条例制定に対する賛成意見。
東日本大震災の復興対策は国の仕事である。復興対策と新庁舎建設は別のことである。」
「市議会は大多数が賛成して関連予算や、条例を議決した。早期建設を要望する決議も上げた。民主的手続きを踏んでいるものを無視していいのか。」
「位置の決定は建設計画の最終的な結論である。自分たちの中枢たる本庁舎をつくることに躊躇することはない。」


採決の結果、賛成21、反対7。従って可決。


「自分たちの中枢たる本庁舎を建設するのだ。」
この言葉には、自分たちの「城」を建設しようとする議員の強い思いが感じられる。
「復興対策と新庁舎建設は別のことである」
この言葉に含まれている論理。東日本大震災の復興は別物であり、「われわれの新庁舎建設」とは関係がない。東日本震災地は震災地のこと、我らは我らのこと、無縁。
震災被災者への心の痛み、東日本の再生を私のこととする心は感じられない。
さらにひとつ気になる回答がある。
市民8000人超からの署名を集めた「新庁舎建設を凍結することを求める請願書」を市議会で審査したときの反対意見。
合併特例債は法律が廃止されない限り補償されると認識している。特例債を活用して建てないともったいない。」


借金してでも今建てなければ損だ。もったいない。
とうとうとこの道は続いて、日本はここまでやってきた。そして今も政治家たち、財界人たちは、この道に立ち、この道を進もうとしている。
日本はどうなる、世界はどうなる。


津波原発の事故は、私たちが抱え続けてきた大きな矛盾を、これ以上のものはないと思えるほど激烈なかたちで白日のもとにさらした。日本文明はエネルゴロジー的に破綻しかかっている。がんばればなんとかなるというレベルは、とうに超えてしまった。危機の本質を知りぬくことによって、文明の大転換を試みないかぎり、日本文明は衰退の道へと踏み込んでしまう。」
「エネルゴロジー的視点からは、原子力発電をなりたたせている存在構造の特異性があきらかになる。それによると、原子力発電は、生態圏の外部の、太陽圏に属する高エネルギー現象を、生態圏の内部深くに持ち込む技術である。現在のところ考えられているイノベーション(技術革新)のすべてが、この構造を変えない範囲で試みられている、場当たり的な対応にすぎない。そのために、原発の技術がはらむ生態圏への危険性は、将来的にも決して消えることがない。」
中沢新一『日本の大転換』集英社新書
  (エネルゴロジーという新語を中沢は「エネルギーの存在論」の意味として使っている。)


今日の新聞が、東日本大震災で親を亡くした子らのために、「子どもの村東北」をつくる動きが本格化してきたと報じている。20日には仙台市に現地事務所がオープンするという。(朝日)
オーストリアのインスブルッグに「子どもの村」がある。それは医学生ヘルマン・グマイナーが寄付金を集めて1949年につくった。戦災孤児と母親代わりの職員が一つ屋根の下で家族として暮らす。そういう家が10軒ほど寄り添っている。1963年、そこを訪ねた福岡の菓子店のオーナー、原田光博が日本にもつくりたいと思いつづけ、その志を里親運動をやってきた大谷順子さんが受けつぎ、原田とともに2億円の寄付を集めて昨年「子どもの村福岡」を立ち上げた。原田は村の完成を見ることなく、2008年にガンで逝った。
「傷ついた子どもたちを、温かく地域社会で受け入れる、そういう社会をつくりたい。」
志は、東日本に広がり、地を這う運動と、人と人との心のつながりによって新しい社会は生まれてくる。
   


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