旧制松本高校の古い木造校舎

旧制松本高校の古い木造校舎は、がっちりとした木組みの確かさが人の心を落ち着かせる。
天井近くまで縦長に開けられた木のガラス窓から外を眺めると、雨に濡れた校庭のケヤキやカエデは、校舎二階の屋根を越えて黄と紅に染まっていた。
旧制高校の時代、ここで学んだ若者たちの姿が浮かんでくるようだった。壁にもドアにもその名残りの気が漂っている。
隣の教室から、クラリネットとフルートの音が聞えてくる。
何度も繰り返すメロディは、「クルミ割り人形」だった。
学生だろうか、それとも市民オーケストラの楽員だろうか。近づくクリスマス演奏会に向けて、練習が行なわれているようだった。
重厚な木のてすりのついた階段は100年以上、ここを使ってきた人々の年輪がつややかだ。
今日の予約の教室は二階にあり、一台のピアノがあった。
日曜日、午前9時半、10時から始まる講習会の指導のために教室でぼくは待っていた。
依頼されてここにやってきた。
しばらくしてやってきた5人の若者たち、彼らは今日講習を受ける人たちだ。
聞けばタイ人だという。
「洪水、たいへんですね。」
と話しかけると、笑顔で「たいへんです。」とひとりが答えた。
いずれもタイ北部の街からやってきて、今松本の日本企業で実習している。
働きながら、日本語の独学をしている人たちだ。
来年帰国するので、それまでに日本語検定試験の2級または3級を受けて資格を取りたい。
今日一日の講習は、その模擬を兼ねて、練習問題にとりくみ、学習する。
ぼくはそのために必要なことを教える。
信越地方の中小企業に入って、技能実習している人たちの多くは、ベトナム、フィリピン、タイ、インドネシア、中国など東南アジアからの青年たちだ。
この講習会はその関係団体の企画だった。


一日、旧制高校の校舎で教えるその感慨は、大正時代の古き時代への懐しさと追憶と、未来に向けての希望と、いくつかの想念が溶け合い、心をひたした。
静寂と透明な空気の「あがたの森の公園」にあるこの旧制松本高校の本館と講堂は、文化財であって市民のサークル活動の場になっている。
カメラをもった人が来る。
楽器を奏でる人がいる。
相談会をする人がいる。
市民に開かれたこの文化財
それに感動する。
一つの教室は、若者の「居場所」として使われていた。居場所のない中学生や高校生がここに来て、元気を出せるように、友を得るように。
旧制松高は、生きている。
先日亡くなった小説家の北杜夫はこの学校で学び育った。


松本は、音楽の楽都にして、山の岳都、そして学びの学都、
街は、三つの「がくと」のハーモニーを奏でている。



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