この世相だから岩波書店『世界』を読む

 最近はあまり本屋へ行かない。新刊本を買うのは金額が張るから、どうしても購入を控えてしまう。そこでぼくはネットで古書籍を取り寄せるか図書館を利用する。
 最近、社会や政治の状況がどうも気にかかる。政治と国民意識の変化、ナショナリズム、戦争の危険、原発問題、地球環境の危うさ、ことごとく深刻。
 この5月以来情報と知見を得るために「世界」を読んでいる。脱原発の先進的な国の事例を詳しく知ることもできた。先月の「世界」は、「ヘイトスピーチを許さない社会」が特集だったから、すぐに本屋へ行った。が一軒目は置いていない。二軒目は売り切れ、よく売れているから売り切れではなく、置いている冊数が少ないから売り切れる。この地方最大のH書店だがたぶん5冊ぐらいしか取り寄せていないようだ。月刊誌「文芸春秋」はその数倍は置いている。だから先月の「世界」は新たに取り寄せてもらった。
 今月号の特集は「報道崩壊」だった。H書店の月刊誌コーナーに行ってみると、派手な見出しが躍る排外主義ナショナリズムの本があふれている。隣国を攻撃する本、朝日新聞をバッシングする本、週刊誌は、感情に働きかける直情的記事が満載だ。それがネットになると言いたい放題の悪罵だ。人権蹂躙の差別発言が闊歩している。事実を検証し、真理や理念を探究する記事内容からはかけ離れ、品位を重んじ人権を大切にする心のかけらもない。ヘイトスピーチデモも含めて差別的悪罵が飛び交う社会になってしまった。日本の政治や社会、外交を理知的に考える内容、あるべき道をさぐる冷静な報道がかすんでいる。

 ポーランドワルシャワに住んでおられる下村さんが、先月、秋田雨雀の童話「先生のお墓」の記事にコメントしてくださり、そこで紹介していただいた白鳥邦夫氏の著書『ある海軍生徒の青春』を読んだ。白鳥邦夫氏は旧制長野中学から海軍経理学校に進み、日本の敗戦によって旧制松本高校に入り、その後東大文学部に学んだ。旧制松本高校在学中、白鳥邦夫氏は社会科学研究会に属し、「松本高校生の生活調査」を行っている。その読書調査で、生徒の読んでいる雑誌の記録が載っている。

   世 界    49名
   人 間    25名
   展 望    22名
   新 潮    15名
   ダイジェスト 11名
   思 索     5名
   改 造     3名
   自 然     3名
   文芸春秋    3名
   朝日評論    3名

 敗戦の翌年、昭和21年の生徒たちが読んでいた雑誌である。今、高校、大学で調査をすればどんな結果が出るだろうか。

 「世界」12月号、永田浩三氏と金平茂紀氏の対談は、「メディアの危機をどう突破するか」。「私たちも北星だ 大学の自治を守ろうと立ち上がった市民たち」は長谷川綾氏の論。 

 「社会の『正気』、メディアの『正気』」の対談は、二木啓孝氏と池上彰氏。

 池上「ドイツは70年間『ナチスのドイツといまのドイツは違う』と言いつづけてきて現在があります。日本が慰安婦問題で『昔の軍国日本の行為です。平和国日本は違う』ときちんと言えなければ、昔の日本は悪くなかったと主張していると受け止められてしまう。日本はポツダム宣言を受諾したわけで、そこに戦犯は追及すると書いてあるのだから、東京裁判は受け入れざるを得なかったのです。本来は日本人が裁くべきでした。」
 二木「そこがドイツと決定的に違います。太平洋戦争の原因と責任を東京裁判にゆだねて、日本人自身が総括していないこと、ドイツのように自ら断罪して反ナチ法をつくるところまで日本はアメリカに委ねてしまった。日本はあの戦争の何をもって反省して立ち上がるのかという出発点を考え直すべきです。」

 ドイツのマルティン・ドーリーへのインタビューが掲載されている。 「メディアは『民主主義の危機』に直面している」と、ドーリーは語っている。
 「ドイツは社会全体で『第三帝国』下でのあらゆる恐ろしい物語を記憶するために努力してきました。ドイツでは、保守革新の別なく、社会のあらゆる人々が歴史認識について、オープンで謙虚です。それはもう変らないと思います。ドイツでは、誰もホロコーストの話は間違っている、事実ではないなどと語る人はいないでしょう。誰かがもしそんなことを言うものなら、その人のキャリアは終わりです。」
 
 論文「ジャーナリズムの覚悟」で、原寿雄は論じる。
 「戦争の歴史が教えるように、愛国世論はしばしば野獣の大群と同様、一方向へ突進し、立ち止まって考えることを許さない。いわゆるスタンピート現象(集団暴走、右往左往する現象)を生む。戦争になってからでは遅い。朝日が敗戦の1945年11月7日に発表した『国民とともに立たん』の宣言を私は問題視してきた。起案者の森恭三が述べているように、この趣旨はそれまでの朝日が国民に知らせる義務を果たさずにいたことへの反省から生まれた。だが私には、『国民を励まし、国民に励まされながら、国民とともに戦争報道を推進した十五年戦争ではなかったか』との思いが強い。日本の世論も戦争に弱い。日露戦争で日本は戦力も国力も使い果たし、米国の力を借りてようやく講和条約を締結した。その窮状を新聞は国民に知らせなかった。日比谷で開かれた講和反対国民大会は騒動に発展、講和を歓迎した国民新聞など政府系新聞や交番などが焼き討ちされ、日比谷一帯に戒厳令が布かれた。‥‥日中戦争におけるいわゆる南京虐殺事件は、戦後になるまで知らされなかった。
米国で起きた同時テロでは、世界一の自由を誇る米ジャーナリズムの正体が暴露された。ジャーナリズムが権力監視を放棄し、国民の愛国心に圧倒されて、自らもチアガールと化した。米世論もスタンピート現象を起こした。」

 慰安婦問題で朝日新聞誤報を犯した。しかしそれに乗じて日本軍のなかの慰安婦、性暴力の存在までなかったことにしようという動きがエスカレートした。「愛国スタンピート」と言えようか。政権と一体化したメディアは脆弱な日本的民主主義を破壊していく危険を感じる。日本の平和主義と民主主義は健全であると言えない事態が来つつある。
 『世界』12月号の、日本軍による性暴力被害者を研究してきた川田文子の論文「被害者の証言とどう向き合うか」は、甚大な被害の実態を詳細に示している。読まれるべき論である。