たがね



アキオさんの家は里山の際にある。
蝶ガ岳に連なる山のすぐ麓であり、夏は夕方が近づくと山から下りてくるそよ風が涼しく、冬は外壁も内壁もすべて木製の家に薪ストーブが燃えるホットなホームである。
今年はもうストーブに火が入っているということだった。
玄関入り口に置かれていた簡易の木製テラスが腐食してしまったので、レンガで新しく造ってほしいとご希望がとどいた。アキオさんはこういう造作が苦手で、おまけに養鶏の仕事が忙しい。我が家の工房を自力で建てたぼくの腕を見て、やってほしいとなったようだ。
玄関テラスと言っても一間四方ほどの小さなものなので、「ではやりましょか」となった。
木製の古いのは取り払い、そこへ基礎をコンクリートブロックで造った。
わが家の工房もそうだったが、基礎作りは小さくても大きくても神経を使う。
工房の場合は三間×五間の面積があって、要所に点基礎を造った。難しかったのは正確な長方形を作りすべての点基礎の水平をそろえることだった。何度測量し直したことか。
小さいが玄関前のテラスも正確な四角形になるように、さらにタイル風のレンガの組み合わせを考えて長さをそろえなければならない。
セメント1と砂3の割合で水で練り、基礎のブロックをつなぎ合わせる。
水準器をフルに使って、修正に修正を重ねて、一応の基礎の枠組みができた。
今日はそこへ土を入れて、踏み固め、さらに土台のブロックを敷き詰め、上にレンガを並べて接続することになる。
ブロックを二つにきれいに割る作業のとき、鏨(たがね)を使うのだが、それを家に忘れてきたために、一本の古いビスを代用で使った。
ブロックには軽量と重量とがあり、軽量は簡単に造作できる。たがねを手で回しながら金づちで軽く打っていくと、コンクリートが少しずつ取れてへこんでいき、やがて小さな穴があく。穴を割りたい線上に何箇所か開けると、最後の軽い一撃でブロックはきれいに真っ二つに割れる。
ビスを代用したけれど、ブロックは見事に割れた。
以前、ホームセンターで客が店員に、ブロックを割る方法を訊いていた。店員は、難しいという。近くでその会話を聞いていたぼくは、店員がそんなんじゃ困るなあと、たがねで割る方法を伝えてあげた。
その時、「たがね」という名前が即座に出てこず、大阪の石屋が使っていた「チス」という言葉が出てきてそれを伝えたけれど、客はその後「たがね」を見つけられたかなと、少し心残りが後を引いた。
「チス」という言葉がまず出てきて、「たがね」の方は脳の引き出しがスムーズに開かず出てこなかったのは、記憶の刻まれ方の違いでもあった。
学生時代、北アルプス白馬岳で雪崩によって遭難し、友を失ってしまったことがあった。
その追悼の遭難碑を白馬乗倉岳頂上の岩に取り付けることを山岳部の仲間で計画して実行に移した。
碑は40センチか50センチ四角、厚みは10センチほどの花崗岩で、背中に背負って山頂まで運べる大きさと重さだった。それに文字を刻んだ。碑面の言葉は死亡した金沢の手帳にあった聖書の一部「山にのぼるもの、それは心の清いもの」という句で、その後に簡単な遭難のいきさつと金沢の名前を添えた。
加工は大阪の石屋に頼んだ。
石屋へは何回も足を運んだ。彫っているところを見ていたとき、石屋はたがねを「チス」と呼んでいた。それが記憶に刻み込まれた。
遭難碑を取り付ける工事は、山岳部の建立合宿として五月の連休に行なった。まだ数メートルの積雪があり、南小谷の民宿の相沢さんが手伝いに来てくれた。花崗岩の碑を背負って、大糸線の森上駅から栂池まで雪道を登る。ティーピーの大テントを雪のなかに張ってベースキャンプにし、輝く快晴の日、白馬乗倉岳頂上まで、碑を担ぎ上げた。頂上の岩塊の一つにたがねを響かせて穴を刻み、碑を取り付けて完成。南に面する碑は目立たず、半世紀以上経った今は、濃霧や吹雪、視界のきかないとき道標の役割を果たしてくれている。




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