理想の庁舎とは

 ソバ畑 夕暮れのススキ


ロシアのクレムリン赤の広場で眺めたのは、まだソビエト連邦が健在だった1965年だった。
レーニン廟に詣でる人々や見学者が、赤の広場に長い列を作り、クレムリンロシア正教会、見わたす眺めは、ソビエトの威光を放っていた。
ヨーロッパからインドまでのシルクロードの旅の始まりに経由したモスクワ、ぼくは数百メートルに及ぶ長蛇の列の最後尾に並ぼうと思っていたら、並んでいた人たちが、ここへ入れと言って、前のほうに連れて行って列の間に入れてくれた。ガラスの棺に安置されたレーニンの遺体はその時初めて観た。
クレムリン、この語はもともと城塞という意味で、モスクワのクレムリンロシア皇帝の居城だったが、その後ソビエトになってから政府機関の入った庁舎になった。
日本の歴史を見ても、政治権力、軍事力を誇示する大名たちは壮大な城を造った。
信長の築いた安土城、秀吉の大阪城など、日本の城も支配権力の象徴だった。
大田道灌が造り、その後徳川家康が入城して三代目の家光までかかって造り上げた江戸城は、その後大天守閣が火災で焼失したが、明治維新になってから皇居となり明治天皇の威光を示すところとなった。


行政府の入る現代の庁舎は、支配権力の象徴ではなく、民主的社会の行政機能を備えた公務の拠点だが、首長、官僚、議員は、建てるとなれば必要な機能を万端備えた立派なものを建てたいと考える。
庶民の血税で建てるにもかかわらず、計画の段階から「わが夢の城」建設の意識が芽生えてくる。
田舎の町村の中にはどうしてこんな壮大な庁舎を建てたのだろう、場違いもはなはだしいと思われるものがある。大金を使って、それも借金をしてまで建てようとするのは、首長の頭の中に自分の功績を形に残したいという意識もあるからだろう。やっぱり城づくりに通じるものを感じる。
庶民は夏の暑さにうめき、冬の寒さに震えていても、庁舎には冷暖房が完備し、エレベーターが動き、安穏と仕事をしている。
原発交付金として膨大な金が入る自治体には、途方もないハコものが建てられているところがある。
しかしその結末はどういうことになるか。


りっぱな庁舎とは反対に、ぼくが以前住んだある市は、開拓民が開いてきた土地柄にふさわしい、木造二階建ての質素な建物だった。そのなかで仕事をする職員は、何かあると腰軽く森と田野に飛び出して市民の中に入っていった。
ある村の役場は、村のコミュニティの核になっていて、木造建物のロビーが村民の交流の場になっていた。訪れやすく、敷居も低く、冬は村の森の間伐材が薪ストーブで燃え、役場の職員と気軽に茶を飲んで話し合う村民の姿があった。
ぜいたくな城は要らない。威風を放つ庁舎はいらない。
住民が訪れたくなる、みんなが交流して情報を交流し、見捨てられる住民のいない政治が行なわれる、そんな市民に開かれた暖かい庁舎がほしい。


それにしても、「あなた任せ」の「みんなに同調する」市民意識では、思いのままに進めていく首長、議員や自治体職員の体質を変えることはできない。


とうとう日本の国は、1000兆円の借金国となった。




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