電話の切り方


「スーさんへ
昨日の電話の終わり方、すまんことでした。
サンマが焼けて、テーブルに置かれ、かあちゃん、夕食準備はOKの様子、こりゃ長電話になりそうだと思ったから、早く電話を切ろうと思っていると、なんとなく話し方が不自然になり、気持ちがそれてきて切ってしまいました。以前、何回か電話の途中で急にやってくる尿意があり、話を無理に切って電話を終えてしまったことがあり、そのときも不自然な終わり方で、スーさんは気を悪くしたかもしれません。
事務的な用件なら、必要事項を話せば、さっさと切ったほうがいい、しかし、心情を通わす話の場合、そっけない終わり方にしたくないと思うから、よもやま話が長くなります。
そういうときに、早く切りたいと思うことが起こったら、
「トイレに行きたくなったから、切るよ。」
「サンマが焼けた、熱々を食べたいから切るよ。」
「今から食事、切るよ。」
と、率直に、明瞭に言えると、お互いに気持ちもいいでしょうね。
これからそうしましょうか。

北アルプス、今年二回目の冠雪となりました。」


こんなFAXを、スーさんに送った。
電話を切った後、食卓に座ったぼくは熱々のおいしいサンマを食べながら、電話の後味の悪さをかみ締めていた。たぶんスーさんも後味が悪かっただろう。
そうだこの気持ちをスーさんに送ろう、そう考えた結果がこのFAXだった。
あのとき、電話の中で、スーさんは、今読んでいる小説の話をしていた。
それは高橋克彦の小説で、平安時代、東北地方に勢力を誇っていた蝦夷(えみし)に、朝廷は夷討伐を本格化させる、そこから始まる実に壮大な物語で、スーさんは病院でも何度も読み返していると言った。
スーさんは、小説談義に夢中になっている。
ぼくは次第に、焼けたサンマと、食事準備を終えたかあちゃんが気になっていた。
お互い、今のそれぞれの置かれている状況が分からない。
相手が今どういう状況にあるか分からないままに、話を進めている。
そこで「サンマが焼けているんです」と伝えればよかったのに、それが言えなかった。
それが言えるようになろう。
それを言うようにしよう。


スーさんは、来週三度目の入院をする。
抗がん剤を投与される三週間の入院生活。
病院の暮らしに余裕がある。
また何を読もうかと、スーさんは考えている。
副作用が少なく、気分が爽快であればいいが。
北アルプス白馬連峰に雪が積もり、吹く風が冷たくなった。
今日もランとの散歩で神社に寄り、「スーさん、みなさん、元気でありますよう」にと願をかけている。



      ★      ★      ★