黒豆を刈る

 今日は午前中、ボランティアの特別指導で、陳さんに日本語を教えた。「センターうらら」のいつもの一室で。
 午後、畑へ黒豆を見に行ったら、豆の木は茶色に枯れ、さやが弾けているのが見えた。遅かりしゆらのすけ。しばらく見に来なかったから、収穫時期が遅れてしまったようだ。さやの弾けているのは一部分で、それは一部分であっても全体量にすれば、かなりの量になる。地面を見ると、落ちている黒豆の粒が見えないのはどうしてか。どうも鳥さんがついばんでしまったようだ。鳥さんの食料になったのなら仕方がないか。今年の黒豆は、去年に比べて収穫量が少ない。
 一日風が強い。夕方の寒気が身にしみてくる。刈れるだけ刈っていこうと、のこぎり鎌で根っこを残して、その上から切り取っていった。日が北アルプスの峰の向こうに沈んで、残照が空を染め、峰々が黒いシルエットに沈んでいく。
 豆の木は背丈40センチほどある。刈り取ったのを何株か束ねて、車の荷台まで運んで入れていく。これだけ弾けているなら、収穫を急がなくてはならない。強風が吹けば吹くほど、豆は落ちる。午後5時近くなり暗くなってきた。畑の半分ほど刈り取って、軽自動車ミニカの荷台がいっぱいになった。
 クルミの家のおばさんの姿が見えたのであいさつをした。
 「おそくまで、やっていたんだね」
 「豆を半分、刈り取りました」
 「刈ったかね、よくできていたかね」
 「弾けていましたよ。遅かったです」
 「弾けていたかね。そうかね」
 「ちょっと怠けていたから、おそかった」
 「ははは、まあ、そうかねえ。採れたのを、数日干して、たたいて、豆とりましょ」
 おばさんは、いつもしっかり眼を見て、応対して話してくれる。このおばさんは、何かしら相手に力を与えてくれる。
 豆を積んで家に帰ってきたら、もう薄暗かった。豆はそのまま車に積んでおいて、明日干して、畑に残っているのを刈り取ってしまおう。
 去年は刈り取る時間も長かったし、収量もそれだけ多かった。おかげで何人にもおすそ分けできたが、今年はおすそ分けする人の数も少なくなりそうだ。
 20日の午後6時から、地区の有志の個人的付き合いのソバ会がある。一昨日、野良着姿のとし子さんが、家の横を通りかかってぼくの姿を認め、自転車を止めると、
 「ソバ会をするだ。来ないかね。秀武さんがソバ打ちするだ」
 会費は一人550円、打ったソバを食べながら団欒しようという企画。
 「返事しておくれ。昼は百姓だから、夜電話おくれよ」
 とし子さんは体つきも話しぶりも、「豪快」と言ったほうがいいほどだ。とし子さんが紙切れを出して見ているのを、横からのぞいて見ると名前が書いてある。7、8人の名前が見えた。とし子さんとは、何回かゴミだしのときなどに言葉を交わしたことがあり、辛い唐辛子をもらったことがあった。
 洋子と話して参加することにした。新しい出会いがあるだろう。親しい付き合いも生まれるだろう。とし子さんの家に参加の返事の電話をした。電話に旦那が出た。話し方がえらく近しく親近感のある言い方だった。はて、とし子さんの旦那ってどんな人だったかな、顔知ってるかなあ。