生きる力を育むには 希望を育むこと





『最後の一葉』という、アメリカのオー・ヘンリーが書いた有名な短編小説がある。
要約すると、こういう話である。


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ワシントン・スクエアにある煉瓦造りの三階建ては画家たちのコロニーのようになっていた。
その三階に、スーとジョンジーがアトリエを持って絵を描いていた。秋のある日、ジョンジーは肺炎にかかり、動けなくなる。ジョンジーはベッドに寝たまま、隣にある煉瓦造りの家の何もない壁を見つめつづけた。            
医者は、「助かる見込みは 十に一つ。生存の見込みはあの子が『生きたい』と思うかどうかにかかっている。よくならない、と決めているかぎり、どんな薬も効果がない。」とスーに言う。
「あの子が何か心にかけていることはあるか」と医者はスーに尋ねた。
「あの子は いつかナポリ湾を描きたいって言ってたんです」とスーは応えた。


ベッドに横たわったままのジョンジーは、窓の外を見ながら何か数えていた。12、11、10‥‥
スーはいぶかしげに窓の外を見た。何を数えているのだろう? 隣の建物の壁に古いつたが這っていた。冷たい秋風が吹きいていた。
ジョンジーはささやくような声で言った。
「三日前は百枚くらいあったのよ。ほらまた一枚。もう残っているのは五枚。最後の一枚が散るとき、わたしも一緒に逝くのよ。」


激しい風雨が荒れ狂った夜があけた。
窓の外を見ると、つたの葉が一枚、煉瓦の壁に残っていた。
「最後の一枚ね。昨晩のうちに散ると思ってたんだけど。でも今日、あの葉は散る。一緒に、私も死ぬ」
たそがれどきになった。残った一枚の葉は、枝にしがみついていた。やがて、夜が来て、北風が吹き荒れ、雨は窓を打った。
翌朝、つたの葉は、まだそこにあった。
ジョンジーは、長いことその葉を見ていた。
「わたしは、とても悪い子だったわ、スー。死にたいと願うのは、罪なんだわ。ねえ、スープを少し持ってきて、それから中にワインを少し入れたミルクも。」
それから一時間たって、ジョンジーは言った。
「わたし、いつか、ナポリ湾を描きたい」
その翌日、医者は言った。「危険は去った。」
ジョンジーは奇跡的に生きる力を取りもどしていた。
肺炎は回復に向かった。


その日、階下に住んでいた画家ベアマン老人が亡くなった。
酒飲みの彼はジョンジーの「最後の一葉が落ちたら自分も死ぬ」を聞いていた。
嵐の夜が明けた時、ベアマンの靴も服もぐっしょり濡れ、氷のように冷たくなって横たわっていた。


「窓の外を見てごらん。あの壁のところ、最後の一枚のつたの葉。不思議に思わない? ジョンジー、あれがベアマンさんの傑作なのよ 。」
とスーがジョンジーに言った。
最後の一葉はベアマンが嵐の中、煉瓦の壁に絵筆で描いたものだった。、ベアマンは肺炎になり亡くなってしまった。


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この『最後の一葉』は昔中学校の教科書にも載っていた。
ジョンジーの生命力の不思議、これは「プラシーボ応答」ではないか。


生命科学に基づく著作を執筆する生田哲氏がこんな例をあげている。


「がんを発症したトムは、手術と化学療法を受けた。彼は心の内なる治癒力を信じ、毎日欠かさず瞑想を実践し、何事にもプラス感情を持ち続けることを心がけ、かつて彼を怒らせたすべての人たちを心底から許すことを決意した。そして病気になったのは不運によるものだとして、自分を責めることをやめた。そうすると気分が上向いて、人生を楽しむ余裕さえ出てきた。彼は手術から数年経っても元気に暮らしていいる。」


心の持ち方で自然治癒力が変わる、症状が劇的に変わるプラシーボ応答であると書いている。
人間は希望によって生き、失望によって死ぬ。
ある特別の環境のもとで自然治癒力が極度に高まり、通常の医学常識では説明できないほどの劇的な回復を遂げる例が頻繁に起こっているという。
「超治癒力」と呼ぶ、その一例をあげている。


ライトはがんが全身に転移してもう望みがなかった。
研究者の間では効果への疑問視もあったが、マスコミが奇跡の抗がん剤と大々的に報じた薬、クレビオゼンを、医師は気休めに処方した。すると奇跡としかいえないような効果が起こった。がんが小さくなった。
ところが、今度はその薬があまり効かないという報道をマスコミがした。
ライトは失望落胆し、がんは再び活発に動き出した。
そこで医師は策を考え、前のクレビオゼンの効果は余りなかったが、もっと効果の高いクレビオゼンができたと演技をして、減塩精製水を注射した。
すると、またも劇的な効果が現れた。
しかし、それも長続きしなかった。アメリカ医師会の、クレビオゼンはがんに無効であるという発表が新聞に載ったことで、またもや落胆したライトの病状は悪化していった。
「人間は、希望によって生き、失望や絶望によって死ぬ」と、生田哲が書いている。
            『免疫と自然治癒力のしくみ』(生田哲 日本実業出版社


希望を失わなかった人たちは、アウシュビッツで生き残ったという記録や、酷寒のシベリアに抑留された日本人の生き残りの話は、希望と絶望が、生きる力に影響を与えることを示している。
秋葉原の事件も、犯罪の多くも、希望と絶望が関係している。
現代社会、人は、希望を語るよりも、希望を奪い去る言動をあまりにも多く発し続けてはいないか。