今日が最後の授業になるから、何かメッセージはと考えて、小澤征良のエッセイに出てくる一片の詩「行かなかった道」を生徒たちに贈ることにした。それは筑摩書房の教科書に掲載されていたものだった。
「自分の最高の字でノートに浄書しましょう。」
ぼくは黒板に詩を書く。
わが人生も、分かれ道の連続する中、「これまで歩んできた道」を選んで「もうひとつの道」を歩まなかった結果、今に至ってここにいる。
もしあの時、「もうひとつの道」を歩んでいたら、今自分はここにはいなかった。
すべての人は、自分の人生を振り返ったとき、選択し、選択して、一本の曲がりくねった道を歩んできたと思うことだろう。一つを選んだとき、もう一つを捨てざるを得ない、そういう人生に、肯定と否定の入り混じった一抹の寂寥感と、悔いと、安堵と、あるいは満足感と、それぞれの人の思いがある。
まだわずかな人生を生きて今ここにいる生徒たちも、いくつかの分かれ道のどれかを選んできた結果ここにいる。
☆ ☆ ☆
行かなかった道
ロバート・フロスト(駒村利夫訳)
黄ばんだ森の中で道がふたつに分かれていた。
口惜しいが、私はひとりの旅人、
両方の道を行くことはできない。
長く立ち止まって、目のとどく限り見渡すと、
一つの道は下生えの中に曲りこんでいた。
そこで私はもう一方の道を選んだ。
同じように美しく、草が深くて、踏みごたえがあるので
ずっとましだと思われたのだ。
もっともその点は、そこにも通った跡があり
実際は同じ程度に踏みならされていたが。
そして、あの朝は、両方とも同じように
まだ踏みしだかれぬ落ち葉の中に埋まっていたのだ。
そうだ、最初眺めた道はまたの日のためにと取っておいたのだ!
だが、道が道にと通じることはわかってはいても、
再び戻ってくるかどうかは心もとなかった。
今から何年も何年もあと、どこかで
ため息まじりに私はこう話すだろう。
森の中で道がふたつに分かれていて、私は――
私は通る人の少ない道を選んだのだったが、
それがすべてを変えてしまったのだ、と。
☆ ☆ ☆
何年も何年もあと、ため息まじりにフロストは話す。
「森の中で道がふたつに分かれていて、私は――
私は通る人の少ない道を選んだのだったが、
それがすべてを変えてしまったのだ、と。」
そう、私もそうだった。通る人の少ない道を選んだ人生だった。
ぼくは生徒たちに、ひとりの少年の話をした。
もうずいぶん昔の話だ。
東京に夜間中学をつくる運動の先駆けをしていた人の息子だった。
彼は小学校、中学校と不登校だった。
14、5歳のあるとき、アフリカのケニアの原住民の言語、スワヒリ語のことを知る。そしてそれを習いたいと思った。
父親に話し、決断して単身ケニアへ彼は出かけた。日本領事館を訪れ、ジャイカ(日本国際協力事業意団)の事務所を教えてもらい、そこの日本人団員の協力を得て、スワヒリ語学校へ出かけていく。校長に会い、断られても何度も出かけていって、入学を請う。そうして念願の入学許可を得て、彼はそこで一年間スワヒリ語を勉強したのだった。
小学校、中学校を拒否していた彼のうちから湧いてきた、本当の学びの欲求だった。そういう道の選択をさせた強い力、それは何だったか、ぼくの記憶はなくなったが、人間のうちに秘めた魂の力は大きな作用をもたらすものだ。
そういう話をした。生徒たちはこれから、多くの分岐点に出会い、そのうちの一本の道を選んで生きていかねばならない。みんながそうするから自分もそうする、みんながそちらへ行くから自分もその道を進む、そういう生き方ではなく、そのとき、考えに考えて自分が本当に最良と思う道を、進みたいと思う道を、少数の人が歩む道であっても、あるいは他に歩む人の姿がなくても、歩んでいく力を持ってほしいと思う。