小説『羅生門』  飢え死にするか盗人になるか、葛藤を考える



 夕暮れ、羅生門の石段に座った下人は、雨のやむのを待ちながら途方にくれて考える。主人にひまを出されて今は無職、家も金も食べるものもない。
「クビにされたんだ。」
「ホームレスですね。」
「現代のホームレスなら、食べ物は何とか得ることが出来るよ。」
「いまは、少なくとも飢え死にはしないように、社会保障が出来ていると思う。」
「でも平安時代のこの当時、地震、火災、飢饉など連続して、国が崩壊状態だね。天皇の政治は機能せず、民は生きることができない。」
 明日の暮らしをどうにかしようとしても、どうにもならない下人。飢え死にするか、盗人になるか。盗人にならない方法を選んでいるいとまはない。選んでいれば飢え死にするだけだ。
 下人の考えは何度も同じ道を行きつ戻りつし、もう盗人になるしかない、と思う。しかし、勇気がわいてこない。
 最初の通読をしないで、はじめて読む小説のように、文章の一語一句を調べながら読み進める。下人の心はどう変化していくだろうか。
 二階に灯りが揺れるのを見て、はしごを上っていくと、たくさんの死体が捨てられている。その死体の間にひとりの老婆がうずくまっていて、女の死体から髪の毛を抜いている。それを目撃してからの下人の心の変化は著しい。その変化を読み取り、その心を考える。



女の死体から髪の毛を引き抜いている老婆の姿。下人の恐怖と好奇心 → 湧き起こる老婆へのはげしい憎悪 → あらゆる悪に対する反感 → 盗人になるより飢え死にしたほうがましだ → 老婆の行為は許せない悪だと思う → 下人は逃げようとする老婆をねじ倒す → 老婆の生死は自分の意志に支配されていると思うと憎悪が消え、得意と満足の気持ちが生まれてくる → 老婆の弁明を聞いているうちに下人の心に勇気が湧いてきた → 老婆の着物を奪い取り、盗みを決行

 
 おそらく盗みをすることなど考えたこともなかった男だったろう。それが生きるためには盗むことしかないと考える。しかし老婆の行為を見て正義感が湧き起こる。悪は許せない。だが老婆の弁明は、下人に、正義を貫いて飢え死にする勇気ではなく盗人になる勇気をもたらした。
 死体の女も、蛇を魚だと偽って売って生きていた。そうしないと飢え死にするしかなかったからだ。自分も生きのびるには、その女の髪の毛でかつらをつくって売るしかないのだ。悪いことかもしれないが、仕方のないことだ。これをせねば飢え死にするしかないのだから悪いこととは思わぬ。
 老婆の論理。ならばその論理をもって、おれもお前の着物を奪って生きのびよう。下人は夜の闇の中に消えていく。


文章をたどってきて、最後に『葛藤』について考える。
盗人にならなかったら飢え死にする。だが盗みはしてはならない悪いことだ。それでも生きたい。生きるためには盗人になるしかない。
下人の葛藤をどう考える? 生徒たちに問う。
ソマリアという崩壊国家がある。生きるために海賊をする人たちがいる。生きるために難民になって逃げる人たちがいる。生きるために内戦の兵士になって殺しを行なう人たちがいる。飢えて死ぬ人たちがいる。
そういう瀬戸際に追い詰められたとき、自分はどうするだろう。
そういう体験をしたことはないだろう。そういう場に身を置くことはできないけれど、想像すること、考えることはできる。


生徒の中からこんな感想が出た。


「私なら、どろぼうをしてしまうかもしれません。飢え死には苦しそう。いさぎよく死ぬというのはむずかしい。私はやりたいことがありすぎて死にたくないです。でも、盗人になる勇気がなくて、どっかでのたれ死にするのではないでしょうか。新たに選択肢を増やすとしたら、『殺してもらう』か、『崖から身を投げる』を選びます。いややっぱり死ぬのは痛い。盗賊団に入るか。」
「私は飢え死にを選ぶと思う。初めは盗人になって生きようと考えると思う。でも、盗みをやってしまった後、襲ってくる罪悪感には勝てないと思います。他人を犠牲にしてまで生きようなんて考えたくないです。きれいごとのように聞こえますが、私の本心です。」
「私は、おばあさんと一緒に髪の毛を抜きます。飢え死にもしないし、おばあさんも困っているんだから、一緒に抜いてしまうと思う。」
「飢え死に?というか、死んだほうがましだと思う。悪いことをして人を巻き込むよりも、死んだほうがいい。飢え死には死ぬまで時間がかかるから、自殺しちゃうかもしれない。苦しんで死ぬより一瞬で死にたい。」
「今の時代に生まれ、命の危機感を味わったことがないのでよく分かりません。けれども、私だったら恐らくどろぼうをしてしまうかもしれません。わたしは、どろぼうをしたくない。そう思っていても、食べるものがないなか、空腹で苦しんで死ぬことを恐れてどろぼうをしてしまうと思います。私は、食べ物や飲み物が豊かにあって、少しお腹がへったり、のどがかわくと、冷蔵庫の中を探してしまいます。食べ物や飲み物がなかったときや、すごく空腹感や喉が渇いたとき、とてもいらだちをおぼえたり、時には苦しいと感じることがありました。だから私は空腹には耐えられないでどろぼうするだろうと思いました。」
「ぼくはどろぼうになると思う。今だったら家族や親戚が助けてくれると思いますし、ぼくが泥棒をしたら、悲しむと思うのでやらないと思う。だが、周りの環境が悪かったら、どろぼうをします。でも身内のことを考えたら飢え死にを選ぶか‥‥。」


そして最終の課題、「自分の心の中の葛藤」
友だちとのこと、家族のこと、進路のこと、恋愛のこと、能力や性格のこと、学校のこと、健康のこと、社会のこと、どうしたらいいのだろう、どう考えたらいいのだろう、それを書いてみよう。
「人生は葛藤の連続です。葛藤しながら考え、成長し、強くなっていくのです。」


ぎっしり書かれた内容、それぞれ葛藤を抱えながら、子どもたちは生きている。