山の声、山の香り

 

 1941年(昭和16)、浦松佐美太郎は、「たった一人の山」を著した。

 「雨の激しい日、山へ行く人の通らない小屋は、さびしく取り残されている。囲炉裏に薪をくべて、イワナの焼ける匂いを嗅いでいるのも楽しい。窓のすき間を通して、冷え冷えとした山の空気が吹き通ってくる。

 ランプの光が小屋の窓を、木立の間に浮き上がらせる頃、谷をさかのぼっていったイワナ釣りが重い魚籠を下げて下りてくる。小屋のあがりがまちに腰を下ろして、タバコを吸いながら、今日一日の魚の動きを話すのを聴いているのも、山小屋らしくていい。」

 明治大正の頃、上高地に入るには、島々から徒歩で、徳本峠を越えて徳沢園に下っていた。学生の時、ぼくらの山岳部の夏の合宿は穂高の涸沢をベースキャンプにしていた。大阪から夜行列車でやってきて、島々から重い荷を担いで徳本峠をめざし、一日歩いて「岩魚止め」で幕営、翌日峠を越えて徳沢に下った。横尾から涸沢への道は苦しく、長い隊列はあえいだ。 

 徳沢園には巨木のカツラの木があり、秋になるとみごとに黄葉した。ある日冬の兆しが来た。カツラの葉は、はらはらと風に舞い、一晩で裸になった。

 浦松佐美太郎「たった一人の山」は、梓川の水の美を描いていた。その文章は、三省堂の中学校国語教科書に掲載された。

深山には、樹々の香りがある。その香りに酔いながら露営した。ぼくは中学校の修学旅行の地を信州の山にした。戸隠高原乗鞍高原上高地‥‥。「夕映えのなかに」を書いていたとき、山の声、山の香りがいつもよみがえっていた。