音楽の力と音楽療法

「音楽からの贈り物」(家の光協会)という本を読んだ。音楽療法士の高本恭子さんが、音楽で人の心を癒やし、病や障害をやわらげたり克服したりしてきた数々の実践を書いている。
僕が五年前まで住んでいた御所市から明日香に抜ける裏道の途中に、高本さんが活動する飛鳥病院があった。
そこを拠点にしながら、医療者と連携して、高本さんは音楽療法を各地で展開している。
音楽療法士の仕事は、音楽の力を発掘していく研究でもあった。音楽を聴かせたり、一緒に歌ったり、演奏したりする実践の中で、どんな症状にどんな音楽が効果を発揮するか、すべて実験して見つけ出していく。
曲は、クラシック、ジャズ、フォークソング、民謡、童謡、演歌、歌曲、賛美歌、チベットの仏教音楽、自然の音など、ジャンルが多岐にわたる。
対象は、小さな子どもから、ホスピス病棟で最期を迎える人まで、
虐待・いじめを受けている子から、重い病を抱えている人、うつに閉じこもる人、自閉症、がん患者、ありとあらゆる病気の人に、音楽と対話のセラピーを施して、その人の中から生きる力を生み出していく実践には強い感銘を受けた。
高本さんのセラピーは、音楽の力を借りながら、慈愛の心で包み込み、クライアントの心のなかに平安と生きる力を呼び戻していくものだった。
酒を飲むと暴力を振るう父親を殺したい、そういう悩みを持つ27歳の女性に、河島英五の歌「酒と泪と男と女」を紹介し父親に聞かせた実践。
何もしたくない、無気力の人には、モーツアルト交響曲
乳がんの患者の痛みを緩和するためにパッフェルベルの「カノン」、
小学校の命を大切にする特別授業では、さだまさしの「風に立つライオン」を聴いてもらった。
実にたくさんの引き出しがあり、そこに収められているデータ曲の効果はやってみて分かったことだった。
人それぞれの違いがある。


本の中の「最期に響いた『夜空のトランペット』」の体験談は、人生の終末期を安らかに過した記録である。
胃がんの手術を受けたPさんは57歳だった。
高本さんは、Pさんと一緒に音楽を聴きながら、これまでのPさんの人生について話を聞いた。
そしてPさんの一番好きな曲を聞くと、
ニニ・ロッソの『夜空のトランペット』が好きで、若いころラジオの深夜放送を聞きながら受験勉強をしていたら、その曲が流れてきて好きになったという。
そこで高本さんはその曲を用意して、翌日Pさんの病室を訪れ、その曲をかけた。
久しぶりで聴く曲、Pさんの眼がうるんでいった。
「この曲を聴きながら、受験まであと何日やと数えながら勉強したんです。この曲は不安と希望の塊です。」
それからPさんと対話する時はこの曲を流すようにした。
Pさんは過ぎ越し日々の記憶を話し始める。
Pさんは、電力会社に勤めていた。
台風が来るとすぐに呼び出しがあった。
横なぐりの雨の中、合羽を着て出て行く夫に、妻が赤ちゃんをおぶったまま、「気をつけて。早く帰ってきてね。」と声をかけた。
どんなことがあっても電気を送るのが自分の仕事だ、Pは使命感に燃えていた。
子どもたちは大きくなり、振り返れば自分の人生は最高だったと今思う。
雪の降りしきる二月、Pの最期がやってきた。
Pの妻や子どもたちが来ていた。
Pは静かに眠っていた。
「あの曲を聴きましょうか。」
高本さんはそう声をかけて、『夜空のトランペット』を流した。
そのとたん、Pはかっと眼を開き、最後の力を振り絞るように妻と子に語り始めた。
自分らしく生きてほしいと妻に語り、子どもたちには温かい別れの言葉をかけた。
そして高本さんに向かって、
「雪がたくさん降っているけれど、電気は止まりません。僕の後輩たちが必死になって電気を送っていますから。僕はいい会社に就職できた。自分の仕事に誇りを持っています。いい家族にも恵まれました。この曲を聴きながら眠れるのは幸せです。」
やがてPは息を引き取った。


Pさんの誇りは、多くの労働者に通じる。
福島原発では現場労働者が事故終息にむけて決死の闘いをしてくれている。
命をかけて現場に挑むものたちの大きなストレス。
その痛苦を癒やす人たちの活動もまた被災地のがれきの中を歩んでいる。


高本さんは音楽療法について、こう書いている。
音楽療法は文字通り音楽を使って心身を癒やすものです。したがって、楽器を弾く技術はもちろんのこと、音楽や曲についての広くて深い知識が欠かせません。さまざまな曲をキャッチするために、つねにアンテナを張っておきたいものです。はじめて聴く曲でも、『あっ、これはあの人に聴いてもらうといいかもしれない』と、すぐにクライアントの顔が思い浮かんできます。」