「イマジン」


ノルウェーオスロで行なわれたノーベル平和賞の授賞式に劉暁波氏は出席できず、彼の文章が代読された。
「私の人生において、1989年6月は重要な転機だった。
私はこの年、米国から戻って民主化運動に参加し、『反革命宣伝扇動罪』で投獄された。そして今また、私を敵と見なす政権の意識によって被告席に押し込められている。 しかし、私には敵はおらず、憎しみもない。私を監視、逮捕した警察も検察も、判事も誰も敵ではないのだ。私は、自分の境遇を乗り越えて国の発展と社会の変化を見渡し、善意をもって政権の敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かすことができる人間でありたいと思う。」


劉氏の座らなかったオスロ授賞式の椅子。
今、中国では誰も座っていない椅子の写真がメディアに登場し、その表現は無言で静かに訴えているという。


1989年6月に、天安門事件は起きた。
その翌年、ぼくら夫婦はノルウェーを旅していた。
オスロ市内の静かな通りを歩いていると、ギターの音が聞えてきた。
若者が一人道ばたに座ってギターを弾いて歌っている。
聞き覚えのある曲だと思い、近づいていくと、曲はジョン・レノンの「イマジン」だった。
若者の前にぼくらは立った。彼の前に帽子が置いてある。
若者は歌っている。
どこで聞いても、この曲の祈りが胸に来る。
通りには何人かの姿が見えるが、北欧の町はどこか寂しい。
「イマジン」を聴き終えて、コインをひとつ帽子に入れた。


また通りを行った。今度はオルガンの音が聞こえてきた。
ビルの合間の狭い通りに、手回しのオルガンをすえて、おじさんが曲を奏でている。
近くに十数人の婦人がいて、コーラスの練習をしていた。そこはビルの谷間の広場だった。
ぼくらはしばらくそこにいて、何かが起こりそうな予感がしたから、それを期待して待った。
すると、人々が、七、八階のビルの屋上を見つめている。
何だろう、けげんに思っていると北側のビルの上に人影が見え、つづいて南側のビルの屋上にも一人の人が現れた。
騎士風の装束をしている。
二人の男は、広場の谷をまたいで向かい合う形になった。
そのとき、合唱団の前に立った指揮者が、二人の方を向き、指揮棒を振り下ろした。
森閑と静まり返った街のなかに、屋上のトランペットは喨々と鳴り響いた。
南の男が吹き、北の男が吹く、トランペットの音が和す、数分間の演奏に続いて、指揮者が向き直り、合唱が始まった。
街のなかの、あるがままを舞台にした演奏会だった。
聴衆は少なかった。それでも日常生活の中に芸術はあり、表現はあった。
北欧の風土を感じるひとときだった。
短い夏が終わりを告げ、長い冬に向かう前章、秋の風が立ち始めていた。
その日、ムンク美術館で、ムンク「叫び」を観る。絵の中の人は、声のない叫びを発していた。


その一年後ぼくらは、非戦と、飢えや貧苦のない世界をつくろうと、「丘の上の村」に入った。
そして十年、またそこを発ち、ぼくらは再び旅に出た。世界も自分も遅遅として、混沌のなかにいる。


今年はジョン・レノン生誕70年。12月8日は、凶弾に倒れてから30年。
20年前、ぼくは大阪市の平野中学校で教えていた。
一人の若い女性教師がベルギー人と結婚して、夫の故郷ベルギーへと去っていった。
出発前、ぼくがクラスで作っていた学級通信に、「イマジン」の歌詞を載せたのを彼女は見て、いつも愁いを帯びている表情がぱっと輝いたのを覚えている。
「イマジン」を共有できるクラスへのあこがれ、それを彼女は語ってベルギーへ旅立っていった。



想像してごらん  天国なんて無いんだと
ほら、 簡単なことさ
地の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には  ただ空があるだけ
想像してごらん みんながただ今を生きているって


想像してごらん  国なんて無いんだと
難しくなんてないよ
殺す理由も 死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
想像してごらん みんながただ平和に生きているって


僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃない
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ


想像してごらん  所有なんかないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだ
想像してごらん  みんなが世界を分かち合うんだって


僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
世界はきっとひとつになるんだ