人間

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 どういうわけか、ひょいと「晩祷」という曲のテープがあったことを思い出した。もっぱらCDばかり聴き、以前の録音テープをラジカセに入れて聴くということは絶えてなくなったから、たくさんの音楽テープはほこりをかぶって眠っている。あのなかに「晩祷」があるはずだ。探してみることにした。

 もう三十年以上前になる。息子の同級生の女の子のお父さんが、毎日「晩祷」を聴いている、とぼくに言った。初めて聞く名前だったが、そんなにも聴きたくなるとは、どんな曲なのか、聴いてみたいというと、わざわざテープに録音して、郵送してくださった。録音テープを見ると、曲は、ラフマニノフ作曲の合唱曲だった。「晩祷」は「徹夜祷」とも言うことを知った。祈りの宗教曲、徹夜で祈る、そんなにも祈る心があるものなのか。聴いてみると、なるほど荘重な曲だったが、何度も聴きたくなるものでもないなと思った。信仰心の違いかもしれないなと思った。

 それから20年、そのお父さんの愛嬢は自死し、お父さんとお母さんは別れていた。

 「晩祷」と墨で手書きしてあるケースはないか。仕舞ってあるところを動かして探してみたが 見つからない。片隅に、忘れられたCDがあった。「泣きたいだけ泣いてごらん」三枝成彰編曲解による「日本の歌曲」、ベルリンフィルチェリストちの演奏と書いてある。ケースの中にある三枝の解説を読んだ。

 「私たちは、涙を流して泣くことが大変少なくなった。日本社会は高度に発達し、利益の追求が一つの価値観として厳然と存在している。生の感情が突然こぼれだす涙を嫌い、人前ではらはらと泣くことをはばかる風潮がある。もっともプライベートな家庭のなかでさえ、喜怒哀楽の感情をもろにぶつけあうことがなくなっている。

 もともと非合理な要素を抱え込んだ人間の存在、そう簡単に理性で明らかにすることはできない。涙することは心をいやし、精神の浄化をもたらすものだと思う。

 以前、天皇がドイツを訪問されるときにベルリンフィルの12人のチェリストたちが、天皇の前で日本の曲を演奏することになった。そこで私は”荒城の月”のアレンジを依頼された。12人が、リハーサルにかかっていると、たまたまある日本人の女性が彼らの演奏を耳にした。演奏を聴いた女性の目に涙があふれ、嗚咽が止まらなくなった。演奏家たちは非常に驚いて、かねてから抱いていた日本の歌を演奏することへの大きなわだかまりや疑問が一度に氷解していった。」

 ぼくは「晩祷」の代わりに、「12人のチェリスト」の演奏する日本の歌を今聴いている。