朝の会話

「芽の出ている、それ何ですか。」
「これは、トウモロコシで、糖度25.5ですよ。」
「へえっ、それはすごい。」
「甘いよ。生で食べられるよ。」
おやじさんは、芽吹いたトウモロコシの周りに、ワラを敷き詰めている。
「このワラも、今年限りだね。今の機械は細かく切ってしまうでね。」
根本で切られた稲ワラは穂先まである。昔の機械はこうしてワラをそのまま残した。
以前、救荒植物になると言って、「アメリカアビオス」、和名を「ほど芋」と呼んでいる小さな種芋を、おやじさんから二つもらったことがある。
先日その種芋を、畑の土に埋めてみたけれど、ひどく乾燥していたから、はたして芽が出るかどうか、あやしい。
食糧危機がやってきたとき、この芋が役に立つと、おやじさんはあちこちで宣伝してきたことをその時話してくれた。
おやじさんは、カカシづくりが好きで、畑のあちこちにヘルメットをかぶったカカシが立っている。
全共闘のかっこうをしている。そうするとこのおやじさんは団塊の世代か。
ちょっとおもしろい人だ。
「震災地の農家は、たいへんだね。私らは、こうして農業できるだがね。ありがたいね。この畑の土の、土壌1センチができるのに、100年かかるというだよ。」
「へえ、そんなにかかりますか。」
「被災地の田畑は、津波をかぶっているからね。元の土になかなかならないね。」
原発放射能もありますからねえ。」
「とんでもないことだね。私の子ども時代は、冬も家の外と中との間には障子一枚、障子が破れていてもそのままで、寒かったね。それでも生活していたでね。今は、朝起きたら暖房が入る暮らしになってね。便所もぼっとん便所でせ、それを肥やしにしてせ。そんな暮らしが、すっかり変わってしもうたね。
こうやって話をしていく人が、もういなくなったね。『寄っていきましょう』と、『お茶飲んでいきましょう』と言って、通りがかった人とも話をしていったもんだが、今は、社交儀礼でそう言うだけで。『寄っていきましょ』と言っても、寄っていかれると迷惑に思うだね。生活が良くなったというけれど、心のほうも豊かになっているかね。」
「コミュニケーションは少なくなっていますね。」
「この災害は、人間はこのままでいいのかということだよ。」
「この震災は、人間の生き方まで変えるかもしれませんね。」
「そうなるだろうね。生き方を変えなければならんという教えだね。」
「今までの状態をどんどん進めていけば、とんでもない未来が待ち受けていますよ。」
「行け行け、どんどんで来たからね。止まらない。」
「今の子どもたちの生活も、恐ろしい状態になりつつありますよ。」
「全くそうだね。人間のコミュニケーションがおかしくなってきているね。
この犬、人間の話、分かるだな。」
ランは正座して、おやじさんのほうを向いている。
「ああ、この子、話が分かりますよ。」
「話を聞いていて、うなずいたよ。」
「そうですか。ワッハッハッハ、分かるんですよ。そいじゃ、どうも、じゃましました。」
「いやどうも、ありがとう。」
「ありがとう。」