がれきの中に鳥が巣づくり


震災ボランティアから帰ってきたシンちゃんの奥さん・ミオさんのブログをのぞいた。
ミオさんは一度お顔を拝見したことがあるけれど、話したことがない。
インド舞踊をやっておられることぐらいしか知らない。
そのミオさんもシンちゃんと一緒に、震災地でボランティア活動に汗を流してきたのだった。
ミオさんは、瓦礫に埋もれた家の軒に鳥が巣を作っていたと書いている。
ツバメだろうか、人間の暮らしの崩壊したそこにも鳥たちは帰ってきて巣を作った。
ミオさんの文章も、心にすっと入ってくる。
心そのものの文章だから。


<17日、今日でしばらく陸前高田ともお別れです。朝、住田基地から出るときに、運営スタッフ南さんを手伝って数名で看板を設置していました。
「被災地に光を  戦士に活力を」。
ここに宿泊できたおかげで本当に快適にボランティア活動を終えることができました!
今回私はこの陸前高田でボランティアができて、とてもよい経験になりました。来る前にはいろいろ不安もありました。でもきてみたらそんな不安は消えました。楽しかったです!
久しぶりに日常のサイクルから離れ、そして踊りからも離れ、1週間も踊らないってことはこの10年でなかったかもしれません。でもそんな「自分のこと」を脇に置いて、いつの間にか誰のためでもなく、自分のためでもなく、無心に作業していたことは新鮮な喜びでした。
瓦礫の中に埋もれた家の軒下に鳥が巣を作ってるのを見たり、津波を被ったひび割れた農地から芽が出ているのを見たり、「破壊」の後には確実になにかが「再生」している。まだ形にならないそのエネルギー。
そんなものを感じて陸前高田を後にしました。
できればもっといたかった。もっといれば何かわかる気がして。
それはきっと考えても、わからない。頭ではわからないこと。動いて、魂で感じること。
長い旅を終えて豊科インターにもどってしまった。「Uターンしようか」なんて言ったりして。
いつも何気なく見ていた町が、なんとも映画のセットのような、おもちゃのように見える。
あれ? こんなに電線多かったけ? こんなにたくさん家があっったけ?

被災地はどこもそうだろうけど、陸前高田でもボランティアの数は全然足りていません!
一日1000人必要なところ、多い日で300人くらいしか集まらない。
できることは、小さなことでも沢山あります。猫の手もかりたい状況です。でも小さな手がたくさん集まって大きな瓦礫の山も片付くのです。片付けば笑顔が生まれます。
東京から来ていた女の子が地元のおじいさんから聞いた言葉。
「世の中便利になり過ぎたのがよくなかった。神様はこの歳になっても学ばせてくれてありがたい」
私たちがここで学ぶこと、感じることは沢山あります!
だから私もまた行きたい。行きます!> 


「いつも何気なく見ていた町が、なんとも映画のセットのような、おもちゃのように見える。
あれ? こんなに電線多かったけ? こんなにたくさん家があっったけ?」
被災地との落差があまりに大きかった。
故郷を後にして、「異界」を旅してきた人の眼が感じるもの、
だが、自分たちの今いる世界は、たぶんにおもちゃのセットなのかもしれない。
電線の多さは見慣れたものには感じない。
しかし意識すれば感じる、不調和、不協和音のようなもの。
その電線に依存して、人は電力を使ってきた。
なくてはならないものとして。あって当然なものとして。
「世の中、便利になり過ぎたのがよくなかった。神様はこの歳になっても学ばせてくれてありがたい」
と言ったおじいさんの言葉。
再生は、これまでとは異なる方向へ歩み出さねばならない。
もう同じ道ではない。