人間の春


 福島県の、阿武隈山(あぶくまさん)のふもとにある荒地を、せいさんは夫と二人で長年たがやしてきました。
長い冬が終わって、春が来ました。
せいさんは、くわをかついで、開墾地(かいこんち)に向かいます。
水はけの悪い湿地にみぞを掘り、高いところの土をむしろに入れて運んで来ます。
力がいります。つかれます。
せいさんの家には、犬1頭とにわとり8羽、あひる3羽がいました。
にわとりは、おんどりが1羽、めんどりが7羽いました。
鳥たちは自由に庭で遊び、えさをさがし、犬は鳥たちをキツネやイタチから守っていました。


 ある日、せいさんは、めんどりが6羽しかいないことに気づきました。にわとりたちは、夕方になると小屋の止まり木にとまって、やすむのですが、とさかの垂(た)れた、黒っぽい、元気なめんどりがいないのです。
きっとイタチかキツネにやられたのでしょう。
せいさんは、さびしくなりました。
畑仕事はだんだんいそがしくなりました。
えさをやるのもおっくうになるほどつかれた日でも、夕方せいさんは帰ってくると沢に水をくみに行って食事を作ります。


とさかのたれた、元気なめんどりがいなくなってから21日目の朝のことでした。
夫が、「おいおい、出てみろ」と叫んでいます。
外に出てみると、まぶしい朝日の中、緑の草の上を11羽の黄色いヒヨコがうごめいているではありませんか。
ヒヨコたちは、ふわふわと、ボールのようにふくらんで、黒いつぶらなひとみをキロキロさせています。
細い足をふんばったり、よろめいたりしながらも、しっかり歩いています。
せいさんは、一にぎりの米をお母さん鶏(どり)の前にそっとおいてやりました。
どんなにお腹がすいていたことでしょう。21日間もどこかにかくれて、この11の生命をかえしたのです。
お母さん鶏の胸毛は抜け落ち、地肌が見え、みすぼらしい姿です。
ただただヒヨコの生命のために、21日間つくしていたのです。
せいさんは、急いでヒヨコたちのえさをつくってやりました。


それから、せいさんは、お母さん鶏がヒヨコをかえした巣をさがしました。
家の近くの、ナラの木が4,5本はえている、やぶの中、
びっしりとささ竹にかこまれ、ふじづるがはいのぼっているところに巣はありました。
竹の葉が屋根のようにおおいかぶさり、ささの葉やワラを分厚くしきつめた巣でした。
そこで21日間、昼も夜も卵を抱いていたのです。雨が降りそそいだこともあったでしょう。
卵は、ただあたためればいいものではありません。
全体に平均して温度を与えるために、たえず一つ一つ少しずつ回しながら、全面に同じ熱を与えてゆかねばなりません。
一羽のこの鶏は、なにもかもひとりでかくれて、食べることも、眠ることも忘れて、長い三週間の努力をこっそり行なったのです。
せいさんは、そのときのことを、こう記しています。


「こんなふうにだれにも気づかれなくとも、ひっそりとしかも見事ないのちを生みだしているようなことを、私たちも何かでしとげることができたら、
春は、いいえ人間の春は、もっと楽しく美しい強いものでいっぱいに充(み)たされていくような気がするのです。」


せいさんとは、吉野せいさんのことで、このお話は、「春」という作品です。
たくさんのたくさんの悲しみのなかにも、ひとりひとりの何かによって、「人間の春」はやってきます。